早稲田大学原理研究会   創立当初の思い出 

On Wed, 16 Oct 2013 00:57:46 +0900[soseinet] 
皆様、10/5)時の大脇先生の証し(前半)です。
 
大脇:一方的に話すより、懇談形式にして、皆さんから聞きたいことを出しても
   らい、それに答えるということでやりたいと思います。

杉山:人生の中で一番嬉しかったことは何ですか。

大脇:
第1番目には、求道して霊的に神様に出会ったことです。神様がいることは論理
的に感じていた。求道の過程で、生長の家の谷口雅春総裁にお世話になった。谷
口総裁の本は殆ど読んだ。特に「生命の実相(全40巻)」は3回以上通読した。
 「神は愛なり」と言うけれども、それを否定する人もいる。僕は「人間の自由と
堕落の問題」について、谷口総裁に質問状を出したことがある。その本質的問題
に対する答えは無かったけれども、如何に生くべきかを問う、その問題につき、
「学問と恋愛に悩む」というタイトルで谷口清超副総裁が「理想世界」誌1963年
3月号で答えて下さっている。本質的問題に対する論文は、生長の家豊島青年会
のガリ版刷りの会報に掲載されている。
 高校時代にすごく求道した。必死に求道していたある日突然、向こうから、神の
愛を心霊的に(入神現象と言うそうだけど)、神道系の天真道という雑司ヶ谷に
ある教団で体験した。
 そこの教祖、田村霊祥師は, 小学校を卒業すると、単身朝鮮へ渡り、京城中学
卒業後、農業関係の役人として朝鮮の忠清北道忠州郡に赴任したとき、山奥で
修行していた80歳を超える導師(老婆)と出会い、養生法、健康術、心霊的治療
法を伝授された。その心身統一法を僕らにも教えてくれた。そうすると、いろんな
霊現象を起こす人もいるし、僕もパウロが第3天に引き上げられたような神霊体験
をした。
 それが1963年の9月、20歳の時だった。今からちょうど50年前、夏休みが終わって
新学期が始まって間もない日の朝だった。早朝5時半からお勤めというのがあって、
雑司ヶ谷の教団まで走って通った。老人が殆どで、若者と言えば「病気を治しても
らいたい。」ういう青年が集う小さな集団だった。そこで突然、そういうことを体験した。
 「神の愛がこの地球を貫き、万民を愛している」という幻を見せられ、宇宙を貫く神
の愛が全身を包んだ。「お前の疑いや迷いを一切責めようとは思わない。それを
超えた、可愛い、可愛い親の愛の一念、これが私である」との声を聞いた。

 次に思い起こすことは、1960年3月18日の6時から8時までのことである。病気
で行きづまった僕を、母が「何とか治したい」と思って生長の家の本を買って来た。
その本を読むと、わずか2時間で、「感謝」というひとつの言葉が、心の内に光を
放って入り込み、心に革命が起こった。今までの心のしこりが全部取れて、自由
になったというか、軽くなった。その2時間で治って(このような神癒現象をキリスト
教では聖霊体験というそうだが)、それ以降、あまり病気したことがない。
 「生かされている」ということに気がついたのが、僕の第1の出発点、それが16
歳の時。それから心が渇くので、「人はパンのみに生くるにあらず」と感じ、聖
書を読んだり、あらゆる仏教、儒教、座禅をしたり、色々求めざるを得なかっ
た。キリスト教会にも通った。生長の家は「万教帰一」といって、その点、自由で
あった。
 「生長の家の教理を原理でどう解釈できるのか?」という、根本的なことを書い
た手書きの文書が、この度出て来た。久保木会長が立正佼成会を復帰する使命が
あったように、僕は生長の家を導く使命を、天から与えられていたのではないか
と思う。しかし、早稲田の学業もあったから両立できない。
 その時、谷口総裁に原理のことを直接話した。先生は、幹部の研修会で僕のこと
を話されて、「こういう青年がいてこう言っている、お前たちも彼に負けないように
頑張れ」と発破をかけられたそうだ。
 谷口総裁が京都に行かれる新幹線の中でばったり会って、「親泣かせ、原理運
動」の記事が載った朝日ジャーナル(1967年)を差しあげたこともある。中学時代
には鳥取においでになった谷口総裁の前で、5000人の聴衆を前に証をしたことが
ある。小生が絶対絶命の窮地に陥ったときに、助けてくれたのは、生長の家関連、
神道系の方々が多かったのを思い出すのにつけ、先祖のご縁かも知れいとも思う。

 以上、霊的な神様との出会いが、第1点です。第2点はやっぱり、原理のみ言との
出会いです。初めてみ言を聴いた時、白金色の光が、グワーンと私の中に入って
来た。インカネーション、受肉とはこのことを言うのだと思う。
 1963年12月14日午前10時。土曜日に行った。朝10時、最初の時は小河原先生
(桜井夫人)だった。その次が周藤先生。その後、お父様にみ言を初めて聴いた時
の、この衝撃的な感動の体験を報告したら、「それは自分の求める心がマイナス
になって、与えようとするプラスと霊的な放電現象が起こったからだ」とおっ
しゃった。僕の求める心が絶対マイナスになって、本当に求めていたから、与え
られた。与えようとする天の側の絶対プラスとスパークした。それが光として感
じられたのだと思う。
 心霊基準がぐっと引き上げられて、原理講義を聞いた日の夜は、もう体がある
かないか分からない程軽くなって、肩こりとか全然感じない。殆ど寝なくても頭は
冴えている。地を踏んでいるのか踏んでいないのか、分からない。本当に喜びに
打ち震え、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」、「心の琴線に触れる喜
び」、「真理を知る者は自由を得べし」とはこのことを言うのだなと思った。創
造造原理、堕落論、復帰原理、全てそうであった。
 ある時は、下北沢の四畳半の講義室が、モーセの燃える柴と同じで、霊の炎で
燃えて、語る講師の言葉と黒板の文字が白金色の光の渦となって、グワーンと
胸の中に入ってくる。「神霊と真理の立体的認識」とはこのことを言うのだと分かっ
た。ただ、このことが起きたのは、4年間寝ても覚めても、ひたすら求道したこ
とに対する天の恩賜だったと思う。(マタイ7:7)
 その4年間の求道の中で、どでかい目玉が窓一杯に出てきて、心を見透かされて
ゾーとするようなこともあった。これをお父様にお聞きしたら、「それは悪霊(サタン
)だ」とおっしゃった。ちょうど新宿西口の、地下から京王プラザに上がる途中に
ある、どでかい目玉のような、片目が窓一杯に出てきた。その時、耳なし芳一の
話を思い出して、『甘露の法雨』を体に巻き付けて、やり過ごしたことがある。
窓の外は墓だった。
 天理教の教会に何人か下宿をしていて、下宿していた受験生は殆ど東大に入っ
た。僕は、ある人が四柱推命で言っていたけど、「あなたは競争に弱い人間だ。
人を押しのけてでもという強さがない。だから人生では損することも多い」という。
その通りで、「自分は身を引いておこう」という感じで、試験でも、「お前は受かる
けど、俺は落ちる」と言われると、人を押しのけて自分が入るように思えて、気が
引けてしまいがちであった。
 理工学部電気工学に行っても、最先端で人を押しのけて、みんな我先に行こうと
する。ああいう戦列に自分はいてどうなるのか、何の為にそんなに一生懸命に行
くのかと。行く先には、科学技術が発達し、便利で、物質的には豊かになるけれ
ど、一軒家にいても、益々心と心が通じなくなる。心と心の距離が遠くなる。人
間の幸福には、人と人の心の通じることが、もっとエッセンシャルではないかと
いうことを、僕は20歳の時、痛感した。
 更にそれ以上に、やっぱり人を信頼しても裏切られることがある。人は相手に
ならないから、人が変わるのは当然だと。だから変わらざる自分自身が絶対なる
神と縦的関係を持つことが、最も大切だと悟った。
 なぜ献身の決意をしたかというのは、ひとつには科学技術の先端で、僕より頭の
良い人は沢山いる。しかし、誰かが、人と人、心と心を繋ぐような役割、「心の仲
人の役割」をする人が必要ではないかと思ったからだ。僕は、元々、父親譲りの技
術者で、「口下手だが、神様もその方向を願うのではないか」と悲壮な決意をし
たのが、今から50年前なのです。

 人生で一番嬉しかったことは、霊的な神様との出会いが1番です。次は、み言と
出会ったこと、その次は、お父様と出会ったことが最大の喜びです。

食口の中には、なにせ、かにせ、お父様第1という人が多い。その人は偉いと思
う。僕は最初、お父様に対しては、余り強く行けなかった。なぜかというと、父
が41歳の時、僕が8歳で母が33歳の時、交通事故で突然亡くなった。だから8歳ま
でしか父を知らない。
 そして、「毎朝お仏前に、顔を洗う時にお水を供えなさい」、「良いことも悪い
ことも父親の仏前に報告して、一番良い物あれば、まず、お父さんに捧げなさ
い」と母から言われ、父に報告生活を長年していた。
 父との因縁が強くて、「お父様」と言われても、ちょうどイエス様と長年過ごし
たクリスチャンが、最初、なかなかお父様に行けないのと同じです。そういう時
があって、今思えば、「もっとお父様とひとつにならなければならなかった」と
反省しています。(つづく)

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後半(その2)On Wed, 23 Oct 2013 23:40:50 +0900〔soseinet]配信

 早大原研を作るに当たって、滝川寿美子(奈田夫人)さんの勧めで杉並の大濱
信泉(おおはまのぶもと)先生のご自宅へ訪問した。『原理解説』をお渡ししながら、
「聖書の原理を研究する会を作りたい」と報告したら、「頑張りなさい!」と、クリ
スチャンである先生は我々を励ましてくださった。
 大濱先生は僕が入学した時の総長で、「5W1H、特にWhyと問うことが重要だ!」
と、入学式の時におっしゃった。理工学部では実験、実験で、こうなっていると
いう現象は、平面的に説明出来るけど、なぜそうなるかという理由を問わない。
 僕は物理の松原晋先生に、万有引力や円運動はニュートンの方程式では説明は
できるけど、「なぜ円運動しなければいけないか?」を質問した。松原先生は白髪の
頭を掻きながら「そういう小学生の質問みたいな問いに対して答えられないが
物理学なんだ」と答えられた。原理を聞く前だった。
 大濱先生で思い出すのは、大学紛争があり、財政問題を含め、形状的には大変苦
労された。形状的父母は総長だけど、早稲田の3万4千の心の父母、性相的父母と
して立つ人がいないということを伝道を通して、イエスの孤独な心を体恤した。
 大濱先生は、僕が東京駅から電話した時に電話に出られて、「風邪を引いてい
る」とおっしゃり、物憂げそうなご様子であった。京都駅に着いて、駅のテレビ
の昼のニュースで先生が亡くなられたことを知り、僕が電話をして先生に無理を
させ、先生を殺してしまった感じがして、申し訳ないと思った。沖縄万博を始め、
世話好きな先生は過労で命を縮められたように思う。

 いろいろやったけど、「人事を尽くす」ということが大事なのだと思う。毎週ビラを
作ったし、看板も作ったし、ポスターも作った。そういう人事を尽くしている中に、
ポスターを見つめていたのが柴沼さん、大鹿さん、看板を見て来たのが長島さん、
看板を立てかけようとして通りがかったのが出会ったのが杉山もと子さん、ビラを
拾って来たのが飯野さん、夕方は新宿東口駅前で路傍伝道をした。早稲田のすぐ
近くに下宿していた堀さんは同宿の学生からビラを貰い、白鳥ビルに出かけた。旧
理工学部校舎で定例研究会をやっていた折、授業の合間にクラスメートと立ち寄った
のが東森さんであった。早稲田には夜間部もあることに気が付き、夜間の学生を
伝道しなければと夕暮れ時、書店の前で出会ったのが坪井さんであった。
クラスや学部を超えて授業の前にて原理研究会の紹介もした。後にキャンパスで
伝道された佐藤さんも小生が原理の紹介をしたのを覚えていた。「人事を尽くして
限界を超えようとするところに神との出会いがある」というのが小生の信仰生活から
の教訓である。
 顧問を、英語の担任の高杉信先生にお願いした。高杉先生は授業の半分は人生
談を話されていた。原理の定例研究会にはいつも来て下さった。高杉先生はクリス
チャンで杉並教会の元老であたtので、原理運動に対する風当たりが強くなると身を
引かれた。その後、同じく理工学部の森田豊夫先生に頼んだ。その後いろんなことが
起こっても守って下さったのが、原研顧問第2代の森田先生だった。

 条谷さん(藤井夫人)、大貫さんは家庭が復帰されていたし、僕は絶対的信仰に
立っていた。僕は親に頼んで献身した。「お前が泣いて手をついて、献身させて
くれと頼んだ時には、がめた(まいった)。子供が命がけでやりたいものを拒めなっか
た」と.、母が亡くなる前に言っていた。
 普通なら全部僕がやらなければいけないことをほっぽり出した。親族が納得しな
い中で、よくも母は気丈夫にも、「お前が生きているだけでもありがたい。子供は
神の子だから神に捧げるべき。「放つ愛も必要だ。」として結局、僕を教会に捧げ
たものだから、母は教会員みんなを子供のように思って、鳥取教会を助けてくれた。
 そんなことで、基台が重要だと思う。家庭がちゃんと復帰されているから、どん
なに基準が下がっても守られる。個人だと、どうしても心霊基準がいつも上がっ
たり下がったりする。
 特修第11期では梶栗先生と一緒だったけど、先生は悠然としていらっしゃった。
僕なんかはあまりにも感動し、心の変動が激しかった。生長の家で「静」の中に
いたのに、急に「辻説法をしなさい」と言われ、なかなかできなかった。梶栗先
生は10期にも出ておられる。今思えばそれで悠然としておられたのだと思う。

 キャンパスで伝道していると、授業が始まると誰もいなくなる。そのような時に
は、イエス様が「人の子には枕するところがない」と言われた、寂しい境地を感
じたりもした。
 早稲田の3つのキャンパスを回ってみると、在校生も挨拶してくれ、だんだん知
り合いになる。いろんな相談をしてきたりする人もある。ある時、僕が基準を下
げて弱っている時、理工学部の学生だったけれど、「尾脇さんが一生懸命やって
いるのを見て、自殺しようと思ったけど、生きる元気が出てきて思いとどまっ
た。自分が今、元気で頑張れるのは、君のお蔭だ。」という人がいて、かえって自
分の方が励まされた感じがした。
 早稲田では、理工学部の高い校舎から、毎年何人か飛び降りて自殺していた。公
表すると大学の人気が落ちるから大学側は言わない。それほど悩んでいる学生も
多いということである。イエス様のように“悩める人の友”、捨てられた人、そう
いう人々が一杯いることを知り、その人々の心情を体験させてもらった。

 僕はなぜ伝道できたかというと、み言に対する感動が第一である。「この感動を
伝えずには居れない」のいうが良心の発露というものである。 「求道し得たこの喜び!
小生よりももっと求めて居る人が居るに違いない!」「この人ではなかった、この人でも
なさそうだ。求める人は居なかったという前に、3万4千人の全学生に当たろう!」と決心
した。全学連の学生達と彼らの部室(アジト)で4時間も5時間も議論したこともある。
そこでわかったのは、

もう1つ経済面もあった。特別奨学金をもらっていて、それを全額、献金と伝道に
充てていた。母が送ってくれていたお金もあって、経済においては心配なかった。
生前、母は申し訳なさそうに、「家が何軒も建つ程、お前には献金した。残すものは
何もない」と言っていた。それ程、母は応援してくれた。
 妹達は「お兄ちゃんばっかり」とひがむ気持ちがある。夫達に気兼ねして教会に
対しても足が遠のいている。母は貧しいものを食べ、ボロを着ても、お金を貯めて
僕に送る。妹達はそれを見ているから、親族も含め、「そこまで母(姉)を苦労させ、
母を早死にさせて」と小生を恨めしく思っている。(母について

 1965年に真のお父様が早稲田に来られた時には、僕は献身しており、山形の
鶴岡に開拓に行っていた。ところが、奨学金をもらっていたので、それを受け取
りに行かないといけない。それで、授業には出ていないけど、受け取りに早稲
田に戻った時、「お父様が早稲田の野方寮にいらっしゃる」ということを聞いた。
だから、野方に行ったのは全くの偶然であった。何かにつけて、神様は必要な人
を呼ぶというか、そんな感じがする。その時は飯野さんが委員長であったけど、
あそこに居ると居ないとでは、だいぶ違う。すごく重要な集会であったと思う。

み言と学業の両立に努力した。み言がアベルで学業がカインだという、アベル・
カインの主従をきちっと立てることが重要だった。早稲田で天が要求されたのは
僕が最初だったから、一点一画の許しもなかった。

開拓先の熊本城のベンチでうたた寝をしている間に、泥棒に合い、勉強道具や学
生証を全部盗まれた。それで伝道に生きる最終的決意をさせられた。

早稲田の学生は形状的な知識のために授業料払って学んでいるけど、大切なのは
み言の価値。み言を堂々と誇り、み言を学び、かつ発展させる、そういった大学
を作らなければならないと思う。

ハーバード大学は会衆派(コングリゲーション)のハーバードという牧師の人
が、自分の財産を全部捧げて出来た。当初は、伝道師・宣教師の養成が目的で
あった。ハーバード大学のモットーは“神と社会の為に”であり、神を知ること、
社会に尽くすことである。(マタイ22:37-39)
イエール大学も、清教徒の会衆派の流れ。プリンストン大学は長老派(プレスビ
テリアン)。宗教が基本になっている。宗教の無い大学は意味がないということ
で、神への信仰に基づいた大学を作らないといけないということが、僕の一番言
いたいことである。主のためにと親子で準備された大学も学内のちょっとした不
祥事が原因で小生が米国から帰国した時にはすでに人手に渡り、何とか復帰の
お手伝いをしたが無理であった。その後も何度かは大学設置のお手伝いと出
会ったが、後藤新平の次の言葉をかみしめながら証のしめっくりとしたい。
「金を残して死ぬものは下だ。仕事を残して死ぬものは中だ。人を残して死ぬ
 ものは上だ」

「自分の為に生きるは下だ。人の為に生きるは中だ。天の為に生くるは上なり。」
慶応も早稲田も校風築き、その伝統の下、多くの人材を世の中に輩出した。
我々はいかなる伝統を後世に残すことができるのであろうか!
                 以 上


Subject: [uc97:62802] J-UC 、原研創立記念日と伝統の存続

J- UC創立45周年、原研創立40周年(全大原研は1964年夏)、
PWPA -J創立30周年(2004年9月28日)おめでとうござざいます。

先月、22日夜には、力尽きて倒れそうな小生を生かすべく、各界の有識者15名が
自費を削ってニューオオタニで「大脇君を励ます会」を開催くださり、アジアの明日を
拓く塾、シンクタンクの希望が生まれるかも知れません。人間性をフルには発揮した
真の文化世界が近づいており、冬のソナタの人気は、西洋文明から東洋精神文明へ
人類文明全体の本家帰りの兆候と見られます。

1960年代の教会・学生運動、70から80年代の国民運動、90年代からの本格的国際的
救世運動、「死なんとするものは生きん」とTPが強調される教訓を実感する日々です。
開拓者フロントランナーであらるご父母様は今日も開拓の最前線です!高村光太郎
の「道」の詩を思いおこす記念日の今日です。
                              2004年(平成16年)10月2日 記

UC-Mailの皆様、こんにちは!
 大脇です。 1昨日のUC45周年、大貫洋子さんに誘われ、千葉ポートマリーナまで
行って来ました。知っている方はほとんどいなくて、浦島のように感じるところもありま
したが、あるNMとばったりで会いましたので、昼食、を共にしました。
その後、洋子さんに誘われ、千葉県房総半島の北東側、大原まで行きました。
大貫啓司さんは昨年11月、思い切って長年住み慣れた世田谷区下北沢を離れ、
房総半島の北東部、海岸沿いの一軒家を手に入れ、この夏の多くの食口家族、
2世達が訪れ、臨海の夏を楽しんだようだ。 啓司さんと海岸を散歩しながら、
人生の黄昏を迎えた2人で40年前、互いに創設した早稲田原研の話を含め話あい
ました。
 確かに小室先輩らが白門祭で原理の展示会をおやりになったのは1961年ですが、
原研創立の初めと見なすかどうかは歴史の判定を待つ必要があるかも知れません。
日本統一教会を始め、宣教各国に通じる話ですが、いつをその国の統一教会創立
の日とみなすかというのと似ています。  日本の場合、西川勝先生の依然にも複
数の宣教師が派遣されましたがいずれも使命半ばで帰国されましたが、西川先生
は、生死の境を幾度も越えて、サタンが抜けきることのできない、永遠にゆるぎな
い教会基盤を築かれました。組織の継続性、これは組織も生命体と同じく生きて
いるということは常時新陳代謝の動きを通じて成長があり、定期的活動があるか
どうかが問われるでしょう。また、組織の基盤には、原理の教えるように4位基台数、
無形の天を中心としても最低、3人必要です。
早稲田原研の場合、大脇、条谷、大貫の3人がしっかり立っていました。大脇は、
4年間の真摯な求道の末、ようやくみ言葉、み旨にたどりつきました。早稲田には
小生以前に、クリスチャンで早稲田大学哲学科の青年がいたそうですが、み旨に
立たてなかったそうです。 小生も相当優秀な成績で東洋哲学科に合格しましたが、
家が電機屋であるので同時に受かった理工学部電機工学科でした。もし哲学科で
あったら、卒業もできたでしょうが、理工は実験も多く困難でした。ただ電気工学科は
TPの出身の学科であったこと、伝道は理工学部を主体に進められたことで、“矛盾
あるがゆえに我信ず”と言った文学部生や人生をそろばん勘定しやすい社会科学
系の学部生よりは、理論があえばそのまま実験、実践に移しやすい理工部生の方
がスムースでしたので、これも御心であったのかも知れません。

み旨の中心に立つ人物には、神とサタンの分岐点において一点一画の許しもない
厳しいものであることを痛感します。 TP、西川先生、松本ママ、長谷川ママの歩み
を見ても容易にわかることです。 世の中の人が羨む最愛の親子、夫婦の情愛を
切ってでも、神とサタンの一線の転換点においては、越えなければならない一線は、
悲惨なもの、また真実がわかれば涙なくしては同参できない神聖な場です。
 小生は最初の学生の1人であったので、学業を取るべきか伝道を取るべきか!
この世の知識を取るべきか、神の真理を取るべきかが試練でした。開拓で学生証
の入った大学の教科書を盗まれたり、数々の試練を通じて辛くも超えれられたのも、
モーゼが十戒を受けたときのようなみ言葉受肉の霊的体験、4年間求道の信仰基
台があったからだと思います。また小生がみ言葉と出会うことができたのも、40日間、
目白駅頭で、滝沢寿美子(奈田栄子)さんを中心に中村惣一郎、一色(阿部)公子さん
、滝沢恭子さんら4名が路傍伝道、40日最後の日だというので通常は5時半から6時
半だが、その日は1時間延長して7時半までやっていたそうで小生はその7時半通り
かかった。毎日この頃まで大学で実験があるからであった。神とサタン蕩減条件奪
い合いの歴史、本人の5%の努力共に、神側の95%の努力の貴重さを痛感します。

話がそれましたが、早大原理研創立の4位基台、後の2人、条谷(真由美)さんと
大貫啓司さんは、家庭が立正佼成会の信仰基台の下、すでに家庭がUCに復帰
されていたので、2人がどんなに基準が下がっても、厚い保護圏内にありました。 
かてて加えて、真由美さんのお姉さんは早稲田教育学部出身で、お姉さんの信仰
により真由美さんに早稲田復帰の奇跡の舞台が備えられたことを知っています。
小生には霊の祖母、滝沢(奈田)寿美子(栄子)さん、がいろいろ共助してください
ました。栄子さんは文学部心理学科の学生でしたが、ほとんど教会生活が中心
でした。
早稲田にサークルを作るに当り、何と命名すべきか、下北沢の一軒平屋で40人
くらいが生活していた頃でしたので、西川先生にご相談すると「理想文化研究会」
という名前を挙げられました。そこで栄子姉に相談すると「聖書原理研究会」それ
よりは教本が「原理解説」なのだから「原理研究会」が良いのではないかと「原理
研究会」として1964年4月20日申請しました。 毎週水曜午後の礼拝には、熱心な
クリスチャン教授であられた高杉信教授(理工学部英語教授)も参加してください
ました。その後も理工学部森田豊教授(理工経営工学科教授)でした。 原研創
設に当たり、大浜総長宅に栄子姉とご挨拶にお伺いし、総長より「頑張りなさい」
と励まされたことをよく覚えています。
 総長は大学経営の外的な父、大学紛争が盛んなときでしたので、総長の心労を
感じました。小生は内的な心の父になって、心の渇きを覚えている学友を訪ねて
行こうと決心し、多くの懐かしい学友との出会いの思い出があります。 大学を去
ってからも大浜総長には連絡しご相談することありましたが朝方お電話したとき
には、風邪で寝ていた所だと電話口に出られましたが、その日の昼にはご逝去
の方をテレビのニュースで知り、負債を感じました。  理工学部出身のM総長も
小生のことよく理解くださり、いろいろお話したことありますが、早稲田の為に生
きるのではなく早稲田を利用する面があまりにも露骨で、その後の行きすぎた、
原理を離脱した傍若無人な活動ぶりは義憤を感じます。
 教会献身のときも父母や先祖に対してもそうでしたが、早稲田原研創設に当っ
ても担当教授や学部長、総長にも忠孝の精神で精神誠意、真摯な対話の上で
涙のやむを得ない決断の上で進んでいました。

原理の根本、家庭盟誓の中核も忠孝であるのに組織の為の団体益のために、
社会性を無視した態度は、日本政府の省益、企業の企業益最優先の反社会的
態度となんら変りありません。小山田会長も記念の挨拶のなかで「裁判問題の
減少なくしてTPをお迎えする基盤は出来ない」とおしゃっていました。

田浦兄弟の昇華に当たり、棺が早稲田に降り立ったのはいまだ持って不思議
でしたが、写真が出来上がるまでの間、大学内は勿論、早稲田大学から高田
馬場の間の古本屋くまなく回りましたが、大隈重信の本は1冊も見当たらなか
ったのには驚きました。
 創業者精神はどこへ行ったのでしょうか? 大隈候の本は後程、神田の古
本屋で2冊見つけました。 

昨日のお祭り、160年も前の天保年間に始まる年に一回のお祭りであるが、
祭神がだれであるのか祭りの関係者誰も知らない、何のためのお祭りなのか?
 集まった人が楽しければそれで良いのか? UC45周年、原研創立40周年、
アカデミー創立30周年、何処とでも中心の不在、生きた伝統の相続の難しさ
を痛感させられました。

啓司さん、毎朝、朝2時には起きて、1人1人、真心こめて手紙を書いている。
午前5時には近くの朝起き会の参加、6時過ぎ帰宅した啓司さんと浜辺を散歩、
先日、自殺しようとしていた方を更正へ導いた話を伺った。「デジカメにはどん
な餌をやるのかと孫に問い」とか「タバコより身体に悪い妻の愚痴」とか、一昨
夜は半月を見ながら帝釈天とウサギの話の教訓を感動深く聞いた。
啓司さんはTPがことあるごとにおっしゃる自然生活、為に生きる生活をすでに
展開している。日曜祭日。夜昼のない生活をしていた小生に神様が下さった
暫しのリゾートでした。


rom: 大脇 <junowaki@able.ocn.ne.jp>
To: 早成ネット <soseinet@yahoogroups.jp>
Date: Wed, 28 May 2014 08:18:53 +0900
Subject: [soseinet][02306] Re: 食口の皆様へ

敬愛する早成勇士の皆様、大脇です。

1、早成会の使命
今回、早成会総会で各双の代表幹事が選出されました。ちかぢか役員会が開催さ
れますが、本人が都合で出れない場合は、代理(代身)者を探して各双の責任を
果たすべく、参加するようご努力ください。小生も各双の早成会総代表として会
長を務めさせていただきていますが、飯野・末永両副会長に支えられ、井口事務
局長(澤田総務)に支えられています。

 「カイン・アベルとは何か?カインは問題が起こればすべて他人や環境にせい
にしたがる人、アベルとは、他人の問題までも引き受けて責任を持とうとする人
である」『氏族メシアと天一国創建』

批判するときにその結果がどうなるのか、何に責任を持っているのかを反省して
みることが必要
と思われる。
アカデミー摂理で12年黙々と苦労したが「要するに責任感と実績だよ!」とのみ
ことば
は永遠の心の宝である。

早成会は世代別だけではなく、将来は、地域に対する責任を果たせる全国化、世
界化に関心を持つべきと思っています。地域の核として、輝く勇士となって下さ
るよう祈念しています。 稲門会は、全国的、世界的組織です。竹下総理がNYに
お出でなったとき、またブラジルでも早稲田人脈にお世話になりました。

存在は個物だけではなく、連帯した4位基台の二重目的的存在です。
50年前の早稲田原研の巻き起こした原理旋風(原理運動)は、条谷姉・大貫兄の
神様を中心とした4位基台(神様が運行される基台)があったからです。
党や会社の3役、相撲も3役、3数は目的を中心とする4位基台です。
今年4月22日は、早大原研創設50周年でした。またこの9月28日は世界平和教授ア
カデミー創立40周年です、やはり国を動かし東アジアに波紋を投げかけたアカデ
ミー運動も多田兄、西尾兄、菊谷兄の1800双4位基台が軸でした。

存在は「個物」であるとした近代西欧物質文明は終焉し、存在は「4位基台」
(連体・家庭・関係性・場・空気)であるとしてきた東洋精文明を主体として、
西欧文明と融合する時代です。まさにこれが校歌2番「大島国の大なる使命・東
西文明融合」(『東西文明の調和』大隈重信侯著)です。

ついでながら校歌1番「現世を忘れぬ 久遠の理想」とは、宗教と科学の統一、
性相と形状の一体化を、3番の「仰ぐは同じき 理想の光」とは、み旨(神様の
願い)である天宙大家族世界の実現を意味しています。(原理的解釈案)

お互いに、心身一体、夫婦(家族・韓日)一体、統一世界実現を目指してに日々
励みましょう!

2、『真の父母の絶対的価値と氏族メシアの道』み言葉集 光言社
  家内と3度訓読し、今、最も必要なみ言葉です。書き出して御紹介したいの
  ですが、時間がとれません。どなたかスキャンすてアップ下さる方いますで
  しょうか?
   第1章メイアの使命は御言とエバ復帰、 第2章は真の御父母様がお母様1
  人を真の母として立てるための復帰路程、天の前に絶対信仰、絶対愛。絶対
  服従の勝利の基準を立てられたTFの前に、真のお母様が絶対信仰、絶対愛、
  絶対服従の勝利の基準を立てられ、第2教祖として立てらた。TFが霊界の行
  かれても、TMを通じて摂理されることが述べられています。
   第3章はこの真の父母様の勝利基準を子女たる我々が如何に受け継ぐかに
  伝統の相続について述べられています。まさに毎日唱和している家庭盟宣8
  番の重要性がここにあります。
   第4章は韓日が国家の枠を超えて1つの国(天一国)創建を目指すべきこと
  が述べらています。 その一部を次に御紹介します。

、天が教える日韓関係改善3つの原理的方策

1)、価値観の融合・統一・確立(共義)
 (1)原理的存在観(連体と個の2重目的的存在)⇒存在論革命(人:家庭人・愛人間)
   西欧近代の存在観:個物、東洋の伝統的存在観:関係性(場、連体・家庭)
   第二次大戦終了と共に帝国主義の時代は終わり、国際集団主義、社会主義、
   共同体主義の時代を迎えている。政治・経済協定、EUの誕生

   日韓が国家的次元で争えば、共倒れ、第3国の謀略にはまり易い。
   今こそ韓日一体化、1つの国をめざし、アジア共同体(AU)を目指すとき。
   EUの教訓:思想(ビジョン)、政治家の役割、経済人の役割
   何よりも「信頼と尊敬」⇒「共義」不信や憎悪から破壊しか残らない。

 (2)普遍を見つめる⇒真の神観に立つ
   国際化とはキリスト教化、創造・堕落・復帰、悔い改めと赦し
   天皇制・神道・民族主義の限界
   ワイゼッカー『荒れ野の40年』、李登輝『最高指導者の条件』
   韓国も日本も、真の神(真の愛)と向かい合うべき。これなくして根本的
   解決策は無い。

2)、「為に生きる」(愛に生きる:共栄)、
  (1)比較文化論的アプローチの重要性
     異文化体験が重要、海外留学の義務化

  (2)為に生きた人を証する(『日韓共鳴2千年史』より抜粋)
    あ)韓国の為に生きた日本人
     柳宗悦、浅川巧、大川常吉、枡富安左衛門、曽田嘉伊智、望月(永松)
     カズ、李方子殿下、田内千鶴子 ⇒ 韓日家庭?
   
    い)日本の為に生きた韓国(朝鮮)人
      王仁博士、李参平、朝鮮通信使、金玄玉、朴鉄柱、力道山、鄭時東、
      朴春琴 ⇒ 文鮮明師?

3)、共に未来社会の創造する(協労・奉仕:共生)
    天宙大家族世界の実現
    あ)韓・日共同国際ボランティア活動を国策とする
    い)国際指導者養成(国連平和大学等の増設、大学間のネットワーク化)
    う)日韓トンネル・国際ハイウエイの推進
    え)東アジア非核ゾーン、38線平和ゾーン、
    お)竹島(独島)2に平和像を!
    か)セウオル号事故日韓合同慰霊祭、6月3日は49日
    き)安重根だけでなく伊藤博文を含めた合同慰霊祭にすべき
    く)スポーツ・文化交流(サッカー・芸術等)
                                 以 上
◎参考:「父の国と母の国の一体化」(真の父母の絶対的価値と氏族メシアのより
      「韓・日の“恨”に寄り添って」