大脇原稿
「要するに責任感と実績だよ!」
                             大脇 準一郎

「要するに責任感と実績だよ! 何の弁解も必要ありません。実績の前には神も
サタンも屈服する」。私が以後12年間、アカデミーを担当するようになった当
初のみ言である。このみ言葉を胸に秘め、だれからも見向きもされない状況にあっ
ても、黙々と自らの責任、教授世界を愛することに努めた。その基盤が二千、三
千人となってくると、先生の関心を呼ぶところとなった。

 1976年から3年計画で日本の国家目標の研究プロジェクトを始めた折、
「国際化とは何か」が一つのテーマとなったが、文先生は即座に「基督教化であ
る」と答えられた。 最近の島嶼(とうしょ) 国家日本の二大使命として「基
督教化、国家的援助」のみ言と合わせて考えてみたい。その他、個別政策におい
ても、この世の知識の頂点と先生のおっしゃっている内容とが、ピッタリと符合
することをしばしば発見し、感動したものである。

 1978年、7月、パーレビ国王の招待で、「世界大学総長会議」がイランで
開催された。小生は、日本のから40大学の学長を案内し、帰りにミッションス
クールの学長と英国に立ち寄った折、文先生とお会いした。先生は教会の一室で
『誰がために鐘は鳴る』という、ヘミングウェイの小説を映画化した、スペイン
を舞台にした愛国的映画を一人でご覧になっていたが、それが終わるやいなや、
天から堰(せき) 切ったように溢れるばかりのみ言を語ってくださった。

 その中でも人生を「知・情・意」の三つの心の機能から説明してくださったこと
を覚えている。 「『心が青い』と書くように『情』は常に瑞々(みずみず)し
く、刺激的でなければならない。『口に矢』と書くように、ここから目標に向かっ
て道筋を立てて説明するのが『知』である。色々考えることによって人生も豊か
になり、文明も発展した。したがって、人生はただ情的に喜んでいるだけでも、
知的に考えているだけでもダメで、要するに『意』、思い立って(心で決心して)
行くことである。人生とは、喜びを持って、考えながら、決心して行くこと、簡
単だよ!」

 80年代、学者の生命を神に導くことに対して真剣におっしゃったことを忘れ
ることができない。釣りからご自宅のイーストガーデンに帰られるなり、いかに
短縮して、いのちへの道に知識人を導くか、食事も忘れて真剣にお話された。

 この30数年、私の垣間見た文先生は、神の前における“真の信仰者”、人に
対して自らの生来の性格と激しく闘いながらも、寛容な心をもって許される“忍
耐の人”、様々の問題に対しては見事なビジョン、解決策を提示される“知恵の
人”、一言で言うとすれば、何事においても真剣に完全投入される“真の人”で
ある。 (中和新聞、「私の出会った文鮮明先生」平成9年(1997年)5月15日)


「世界の為の日本の再生を!」
   

同志の皆様、 大脇です。

経済至上主義、対象療法、島国根性を超えて」

野田氏が新首相として決まった時のインタビュー第1声が経済状況に対するコ
メントであったのにはがっかりしました。日本のリーダーは小泉首相を含め戦
後体制から脱却していないこと露呈しています。戦後の荒廃から経済復興は至
上の課題で、池田首相の所得倍増論の時代まではそれでもよかったのかも知れ
ませんが、その後の国の基本(教育・防衛等)を確立することを先送りして経
済至上主義政策を惰性的につづけたせいで、いま日本は経済のパラダイムに金
縛りにあって国の衰退を座して待つ以外にない状況です。経済は人間生活の一
部で人の幸せ、平和の実現の手段です。国においても文化、政治等総合分野の
中の1つに過ぎません。全体的視野が欠落しています。

野田氏の第2声は福島原発についてのコメントでした。これもまた一国のリー
ダーとしては失格、目先の対象療法的作業人のような回答でした。長期的視野
から日本のエネルギー政策、原発政策をどうするのか?これこそ国家指導者が
取り組むべき至上課題ではないでしょうか? 今回ウラン固定燃料に代わるト
リュウム液体燃料による安全原発に関するフォーラム開催を決めたのは国に長
期的視野で取り組んでもらうための一石を投じるためです。

国会審議はNHKのテレビ中継も終日放映されたいます。一日会議を延期する
だけで億の金が飛んでしまいます。「国にとって今、何が最も大差つか?」国
民が知る最適の機会であるにかかわらず、党利党略派閥抗争でいっこうに本題
が見えません。「世界の中で日本はどうあるべきか?世界の中での日本の役割」
こそ与・野党を超えて堂々議論すべきであると思われるのにいっこうにその兆
しが見られません。

このような折、政策情報学会を立ち上げられた慶応大学の某教授が賛同してく
ださり、10月4日から政策構想フォーラム(仮称、ネット上を見るとすでに
同名の会合は存在しています)を開催し、総合的、長期的、世界的視野から政
策提言をおこなう準備をすすめています。既存の立派な機関がいくつもあるの
になぜ今新たに必要なのか? 経済中心、目先の対象療法、国益中心主義の枠
組みを超えることができない陳腐なものに終わっているためです。


何の為の復興支援集会なのか?


先月8月6日「復興支援集会」が被災地仙台市でありました。数日前に出展す
る会社の依頼を受け、被災地で活動している企業に呼び掛けた所、急な呼びか
けにもかかわらず、3社が応じてくれ、合計10社が出展しました。ところが司
会者から展示会場の案内があったにも関わらず、途中で帰る人も展示会場にた
ちよらず、4時間半の集会の休憩時間はわずかの15分、小生は自発的に幾人か
の市長さんを展示会場に直接ご案内しましたら、大変感動してくださいました。
今回出展している企業は、いずれも自社ならではの専門的技術を持って被災地
を支援しています。多忙な活動時間を割いて出展したのにほとんど来客が無い。
小生は集会の最後僅か質問時間に矢も楯もたまらず、「壇上の講師の先生方を
含め、聴衆の皆様にぜひ展示会場を立ち寄ってくださるよう」緊急動議を致し
ました。少しは出展会社の皆様にご満足をいただけたかと思いますが、期待は
ずれで途中帰ってしまった企業もいました。「復興支援集会」と題した被災地
での集会、文字通りの趣旨なら集会の運営にもっと工夫があってもよいのでは
ないか?休憩時間をもっととるとか31もの市町村長に1人3分づつ話させて
も1時間半以上、フロアーを巻き込んだパネルディスカッションにした方が良
かったのではないか?また担当大臣や林野庁長官を始め、お偉方が次々にスピー
チされたも終わるとすぐトンボかえり。話はテレビで聞くのと大差なく、民主
党、政府主導と言う割には官僚以上の上意下達、民衆と目線の違いが際立って
いました。


プロジェクト成功の三要因

小生は昨年8月まったく同じ時期、大型プロジェクトを担当し、予算が零の出
発でありながら、半年で5000万円相当の国際会議を20分の1以下の経費でこ
なし、感動的な出会いも数々、大成功裡に終えることができました。その成功
の秘訣は第1に命ある中心人物の存在(命の無い種にいくら肥料を与えても、
無精卵を温めても無意味である)。

第2に多くの人々の共感を呼べるビジョンの創造、

第3にこの大義の旗印の下に人々のネットワークをはかることであるとの確信
を得ました。国や企業においても同じことが言えると思います。今回の集会で
は市町村長の真摯な訴えが印象的でした。しかし、人々がやる気を起こし、心
を束ねるという点では落第であった。主催者側にそのことを話すと「目的は政
府への政策提言」との返事で唖然としました。復興支援集会とは全く名目だけ
で、羊頭狗肉のこの集会、政策提言に民間企業、現場の知恵と努力が欠落して
いないことを願う次第です。

プロジェクト成功の要因の中でも中心人物の私心の無さが最も重要と思われま
す。人のことはよくわかっても自分のことはなかなか見抜けないものです。自
己の虚栄心、自己満足の為に一生懸命やっている人も時折見受けますが、砂上
の楼閣のように危ういものです。


「色即是空、空即是色」の意味

「東北の農業・林業・水産業復興支援集会」については上記にふれましたが、
懇親会が終わり後始末をしていざ帰ろうとした所、事務局においていた小生の
ショルダーバックが見当たりません。現金、通帳、クエジットカード、免許証
等、なかでも7千人を超すザウルス電子手帳がもっとも大切なものでした。ス
タッフの人々がチェックしてくださいましたが出てきません。仙台に一泊し、
お城でお祈りをし、何人かの同志にあって翌日帰京する予定でしたが、すべて
キャンセルせざるをえませんでした。仙台の交番に喪失届を出し、お金もない
ので東京に帰るスタッフの車に乗せていただくことになりました。車中この意
味をどう捉えるべきか沈思黙考しました。

自分の最も愛する所は神とサタンの一戦場、神の基台とするためには一旦これ
を捨てざるを得ない。16歳の3月18日朝、命を一旦あきらめた時、病気が治る
奇跡が起こった。『色即是空、空即是色』の深奥な境地を体験した。「何のた
めに生かされているのか」その後4年間の真摯な求道を通じて1964年9月神霊体
験、12月14日み言葉と出会った。

47年前、7日断食を終え、行きの汽車賃だけで熊本に40日開拓に行っている最
中のことが浮かんできました。タクシーに乗るのを節約し、熊本城のベンチで
一番電車を待ってベンチで一夜を明かし、うたた寝をしていた時、ベンチの下
においていたカバンが盗まれ、学生証、教科書等一切が消え失せました。33歳
で夫を交通事で失い、未亡人となった母を助け、当時8歳であった息子が1人前
になるまでと父母の兄弟たちが自分の今までの職業を放棄してまで母(叔父叔
母の姉)を助けてくれていたので、学業を放棄して献身することは難しい状況
でした。「学業を継続すべきか、放棄すべきか」迷えるハムレットに美殖先生
は「午前中勉強して午後伝道しては?」とのアドバイスであった。勉強道具を
持っての開拓伝道、そんな中での盗難、小生はその時学業を放棄の暗示と捉え
た。このことの意味することを小生は未だ分りませんが、「今は伝道するとき」
と学業放棄の決心をし、秋から大学のキャンパスに戻って伝道に為にのみ大学
へ通いました。それ以後、捨て身の伝道精神で多くの人が導かれるようになり
ました。

そして今回の事件、「天は私に何を悟らせようとしているのか?」心を静めて
車の中で祈ってみた。すると展示会場で事務所に最も近い展示をしていたグルー
プのことが頭に浮かんで来た。万が一と思って夜の11時近くであったが電話す
るとその会社社長は帰京の途中休憩所で車を留め知らせてくれた。おそらくだ
めだろうと思いきや「あった!」社長は少し先の休憩所で待っていて下さり、
バックを受け取ったのは午前2時過ぎであった。かばんにはマンションの鍵も入って
いたのでお蔭さまで午前3時半には事務所に戻ることができた。

かつては命であり、学業であった小生にとって今もっとも大切なものはこのショ
ルダーバックである。一時的にでもこれを取り上げられた時、震災ですべてを
失って復興に取り組む被災地の人々のことが思い起こされ、最悪を覚悟してい
たので感動は一入(ひとしお)であった。まさに『色即是空、空即是色』、魂
が浄化されるような出来事であった。


宗教とはなんであろうか?

自分中心から神中心に生きること、自己を無にして天の願い呼応すること、そ
の過程に自我の殻との血みどろの戦いがある。千日修行の行者の講話を聴いて
修業とは自己との戦いであると再認識した。神中心の絶対的価値観の確立、第
2に宗教が道徳・倫理と異なるのは許しがたきを赦す、怨讐を超えた愛(敵愛)、
真の愛である。第3に報いを求めない無償の奉仕、これは父母の愛に通じる。


私の新たな決意

52年前、16歳の時天命の探求を始め、4年後20歳で天命を知り、その後48年間
68歳の今日まで完全投入してきた。今もう一度天と焦点を合わせることを問
われているように思われる。郷里鳥取で農林水産省からも注目されている田中
農場、依然開拓期のある米国、UCの原点である韓国、子女達はそこでたくま
しく生きている。小生にも色々選択肢はありますが、せかく築かれている人脈
を生かして東京を拠点に「世界のための日本」救済の仕事に賭けようとしてい
る最中の出来ごとでした。小生はすべてを投げ出してどこでも行けるフリーハ
ンドを持って天の声に答えたいと思っています。おそらくこれが人生最後の調
整(アジャストメント)になるかもしれませんので。

9月21日、そして10月4日、日本救済のへ向けて知的挑戦が始まろうとし
ています。心ある皆様の積極的ご参加を期待しています。

2011.9.7 大脇準一郎


~~ 御 言 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「利己心はすべてのものを破壊する」  御旨と世界272

神の目的は、ある特定の個人、あるいは教会、あるいは国家の救いではありま
せん。神の目的は、全世界を救うことなのです。ですから真の教会は、世界の
幸福のために、自身を犠牲として与えるものであります。

 この世界において、利己心はすべてのものを破壊します。家庭内における利
己心は不調和を生み出し、それは苦しみと闘争とに爆発していくのです。誰し
もが、仕えることよりも仕えられることを願うのです。妻は夫に仕えられるこ
とを求め、夫は妻に仕えられることを欲するのです。親は子に仕えられること
を期待し、子は親に仕えられることを当然のこととするのです。このような現
象は、我々の家庭や社会や国家においてよく見られることであります。

 今日の世界においては、国家は、単に自国の利益のためにのみ存在していま
す。彼らは、策略(さくりゃく)を用い、共謀(きょうぼう)し、だまし、そして
うそをつくのです。彼らは、自国の利益のために、他の国々を破壊するのです。
この地上に、たった一国でも神に向かって「神よ、もしそれがこの世界を救う
道であるならば、どうぞこの国をあなたへの犠牲として供え物として用いてく
ださい」と訴える国があるでしょうか。教えてください。どこにそんな国があ
りますか?どこに?

 アメリカが、世界における奉仕と犠牲の精神を示して援助を必要としている
国々に対して、その援助のために出かけていったとき――すなわち、アメリカ
が生活と資金と援助の手を差し伸べたとき――アメリカは、ゴールデン・エイ
ジの繁栄を得たのです。しかし今やアメリカは、利己的な姿勢をとっています。
今日のアメリカ国内の問題は、非常に深刻であります。アメリカの現状は、今、
混沌としています。今日、この地には、かつてなかった分裂と崩壊(ほうかい)
とゆゆしい問題がみなぎっているのです。

 私は誰をも、また、どの国をも批判しているのではありません。私はただ、
すべての人類の探し求めている天的真理を明らかに宣言しているだけなのであ
ります。

 私は、統一教会を創設しました。もし、この統一教会が統一教会自体の利益
と幸福のために存在しているとするならば、それは必ず滅びるでありましょう。
私は、世界の救いの前進のために、私の命と、私の心と、私の魂を与えるため
に統一教会を設立したのです。

 イエスが十字架につけられた時、ローマの兵士たちは、イエスをやりで刺し
通しました。そして、そのイエスは、敵のために祈ったのです。「父よ、彼ら
をおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ル
カ23・34)。十字架上における死の瞬間でさえ、イエスは許すことに懸命であっ
たのです。彼の、正に最後のその行為は、彼の敵に対する愛によって誘発され
たものでした。彼は、与えることの最高のかたちを見せてくれたのであり、愛
の模範を示してくれたのです。イエス・キリストの例は、全人類にとっての絶
対的な基準であります。イエスのような人ばかりで構成された国を、ちょっと
考えてみてください。そのような国を何と呼んだらよいでしょうか。それが、
地上天国であり、それ以外の何ものでもありません。

 この現在の世界は、神の怒りを呼び起こしています。本当に世界は今、神の
容赦ない審判に値するのですが、神は愛であられるがゆえに、長い間忍耐して
おられるのです。我々すべてを救いたいがために、その怒りを止めておられる
のです。神は、我々に生まれ変わるチャンスを与えておられるのです。神は待っ
ておられるのです。

 私は、西洋文明は個人主義でもって特徴づけられるということを知っていま
す。しかしながら、利己的な個人主義は滅びるのです。そして、犠牲的個人主
義が花開くのです。個人主義それ自体は善であります。神は、我々一人一人に
独特な、仕える道を与えてくださいました。しかし、神のいない個人主義は、
崩れ去る砂の上に城を建てるようなものであります。

-------------------------------------------------------------
自分を完全に否認せよ」    御旨の世界209

*不満というのは信仰者には許されない。信仰生活に入ったならば、自分の自
覚を否認してしまえ。神を中心として完全否認されることによって、すなち
完全に裁いてしまった、という結果になる。完全に清算してしまった、とい
うのは完全に蕩減してしまったという結果になるよ。完全に蕩減したんだか
ら、再創造される道ができる。 

*宗教の本質はこのような基準から、いろいろな経典はそういう結果的歴史に
おいて書かれているのだから、本質を知らない立場においてそれをなしてい
くにはこれはたまりきれない。現実に苦しい。理論的に整理されていない。
これではやっていけない。

*そういうことを思えば、神のために悲惨な犠牲をなしたなば、時来たならば、
それ以上の価値圏に立たせる。祭物に対しては、神自体も頭を下げる。だか
らその条件によって、神もサタンも頭を下げるという結果になる。完全否認
により完全再創造が可能である。だから、信仰生活においては文句を言うな。
 
*あんたたちは、「もうできない」と言う。できるかできないかは死ぬまでやっ
てみてから結論すべきことだよ。不平を言うのは、神を責めることだ。恩返
ししなければならない人間の立場であるにもかかわらず、神に対してそうい
うことを言う立場には絶対に立つことができないのが我々人間である。 

*先生の今までの生涯がそうだよ。獄中に入れられても、拷問で血を吐き出す
ような立場に立っても、不平を言う男にはなれません。世界すべてが反対し
ても、サタン圏と緑が切れる、と思えば有り難いものだよ。怨讐圏がある場
合には、一周するまで反対されるのが当然の道だよ。不平を言うな。感謝せ
よ。黙々と行かなければならない。

*苦しいとしても、それは一生だ。長くて百年にすぎない。この期間を克服す
ることができないというのは、それは話にならない。いくらやっても神に申
し訳ない。自分が自分を誇るという思いなどいくら研究しても見いだすこと
ができないのが、我々堕落人間の信仰の道である。
 
--------------------------------------------------------
  「私たちの使命は何か」  御旨と世界559
        復帰の公式路程              

  私たちはいま一度、私たちの使命は何か、私たちは今どこに立っているか
を深く認識しなければなりません。堕落によって人間は自己中心的になり、自
己を中心として愛を求め、サタンの血統に生きるようになってしまったのです
から、私たちがサタン圏から解放されるためには、まず私たち自身が、自己中
心の人間から脱却しなければなりません。       以 上