摂理から見たアベルの正道
                
   1979年12月30日

  自分はアベルだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それでは、「自分は統一
教会のカインだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それならば弟のいないカイン
がいるのですか? アベルがいなければカインもいないのです。カインとアベル
の決定は、「お前はカインになり、私はアベルになる」と言って、互いに約束す
ればいいのです。「私が兄であり、私は弟になる」。こういうふうにです。

 アベルとカインを結ぶ力の中心は何でしょうか? 不動の中心がなくてはなら
ないのです。それが何かというと、信義と心情と理想です。信義は動くことがで
きず、心情も動くことができず、理想も動くことのできない存在になっているの
です。さて、次にもう一つの問題があります。理想に到達し、理想がかなえられ
ると、理想に酔ってしまって二人が行くべき道を歩めなくなるということです。

 皆さんにアベルはいますか、カインはいますか? カインとアベルはなぜ必要
なのですか? 「私はこのアベルが嫌いだ」「カインにばかり仕事をやらせて何
だ」。カインなんか煩(わずら)わしい、みんな蹴ってしまえばいいじゃありませ
んか? (いいえ)。なぜ「いいえ」ですか、カインがいかに煩わしい者か知っ
ているのですか? カインはこう言うのです。「統一教会はいいのだが、アベル
というのは嫌いだ。天才主義ではないか。アベルは勉強もしていないし、あのよ
うな者が何だ。あれがアベルなのか」と。

 皆さんは、皆さん自身がメシヤであることを知っているのですか? カインの
メシヤはアベルであり、アベルのメシヤはカインであるということを知らなくて
はなりません。今まで説明したそのような関係を結ばずしては、それを経ずして
は駄目です。

では、なぜそうしなくてはならないのでしょうか? この原因はエバにあります。
エバは堕落して誰を生んだかというと、カインを生み、アベルを生んだのです。
これが兄であり、これが弟です。堕落ののち、誰が先に生まれ兄になったかとい
うと、カインが先に生まれて兄となり、アベルはついていったのです。これは何
かというと、後ろからついていく根拠になるのです。そのために、カインがサタ
ン世界の相続権をもっているのです。サタン世界のすべてのものの相続権はカイ
ンにあるのです。サタン世界はカイン世界ですから、カインのものになるという
のです。

 もし堕落しなかったならば、長子も天の側であり、次子も天の側になったはず
です。そして、その国の相続は長子が受けたのです。長子が引き継ぐようになっ
ていたのです。神様の原理法度は、先に生まれた人が父のすべてのものを管理し、
責任を負うようになっていたのです。そして堕落した世界も、原理法度に従って
規範どおりに運営していくというのです。

 長子がサタン圏のものとなったのですから、二番目の息子はどのようにしてこ
の、長子の位置を越えていくのでしょうか? それは屈服させることです。長子
の権限をどのようにして引き継ぐか、これが問題なのです。どのように迎え入れ
るかということです。争って越えるのではありません。不信から信義へ、不心情
から心情圏へ、不理想から理想圏へと、兄さんは弟についていかなくてはならな
いのです。そうすることによって、昔カインがアベルを殺したことを償えるので
す。従順にアベルについていくことによって復帰されるというのです。カインは
自分のほうから先にアベルを殺したのです。何の話か分かりますか?


 このようないきさつに基づいて、2000年前に、国家的アベルとして来られたの
がイエス様であり、国家的カインはイスラエル民族でした。イスラエル民族は国
家的カインの立場から、国家的アベルであるメシヤに絶対服従してついていくべ
きでした。イスラエル民族は自らが滅びたとしても、アベルであるメシヤを生か
すべきでした。そうできたならば、イエス様は死んだでしょうか? イエス様は
十字架で死んではならないという話はここから出たのです。死を決して守ったな
らば、カインはアベルを殺さずに生かしたはずです。イスラエル民族が2000年間
メシヤの出現を待望したのは、この蕩減法からきたものです。