伊豆(山)・沼津(港)訪問記  大脇準一郎・記

 これから伊豆へ下見に行きます。天の摂理は不可思議です。
ちかぢか7月10日(日)、活動の拠点をこちらに移す予定です。どうも「新しい希望農場」、
沼津での「海洋摂理」、晩年のアボジンの姿がみえてきました。天は何を願っているのか、
下見して来ます。

 真に危機こそチャンス、絶対感謝の彼方に、怨讐を超えた真の愛の不可思議な摂理の
一端が凡庸な小生でも少しずつ分かり始めて来ました。天のみ旨に屈服、従順に従うのみです。

 この三鷹のアカデミーハウスも福利厚生施設に近い兄弟愛で運営されてます。
天はもっと本格的な福利厚生施設を目指しているようです。高齢化社会を先どりした
真の愛に基づく高齢者ホームができれば、先日「先輩家庭の集い」で放映された夫婦愛の
TVドキュメンタリーのごとく、全国から見に来る人が後を絶たないでしょう。

 伊豆は富士山はあり、海と山の絶景、修善寺等の名所、百鶴園も温泉があります。
イメージは千葉の一心研修院、レダの迎賓館に似ています。 嬉しかったことの1つは、早稲田で
リンチ事件で殺された川口太三郎兄のお姉さんが百鶴園を助けてくださっていらっしゃることです。

感謝!  大脇 拝
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敬愛する食口の皆様、大脇です。

 心に浮かぶ感動の波、愛の潮、あふれる感謝と喜びをお伝えする時間が無いことが残念です。
ここではごく短く中間報告を致します。行間の背後の心情をご理解いただければ幸いです。

 この連休、伊豆の八木秀雄さんの所へ行ってきました。八木さんの「777双以上の先輩家庭、同僚の1800双
家庭の為に、人事5%を尽くしていらっしゃる真心、その純粋な信仰に感動したからです。

 昨年末、中田屋で777双の45回祝福記念会をありました。777双の中に、内外の艱難にどう乗り越えるか
素晴らし信仰で話しかけてくださった下さった姉妹と出会いました。小生は蛮勇を奮って全体集会の前で、
本音で語る新しい分科会を提案し、8人の方々の夜遅くまで語りすことができました。そしてここにも美しい
真の人生を歩んできた本当の信仰の友とと出会えたが最大の喜びでした。

 しかし小生がそのまま伝えると思いがけない副作用がおこります。水晶のように透明で罪の影も無い
正午定着の時代を迎えながら、我々は地獄世界(恨み、愛の減少感、殺意を抱き程の嫉妬、劣等感の
裏返しの傲慢)の世界に居るために誤解を招き、み旨を成し遂げるための最も近い兄弟姉妹の間に
不信の影が渦巻くのを何度の見、いつの悔悟の念に迫られます。

 純粋な信仰を認めてくださっているアボジも「正直だけでは駄目よ! 腹を持て! 時には居留守を
使うことも必要よ!」青坡洞の旧教会本部2階でと忠告されたことを思い起こします。「それは政治力が
必要ということですか?」とお伺いすると「生活力だよ!」とお答え下さった。その時以来、宗教的理想と
科学的現実の妥協点(和合点)を探り、実り豊かな結果を出しことに心を砕いています。
只、「馬鹿」が着くほど正直で腹に納めれず、率直な性向で、善意がかえって親しい人々の心の傷を
負わせてしまったことを改めてお詫びいたします。

 小生は最近、愛の句として有名はコリント前書13章、その背後の「愛は恐れない」という強烈な
メッセージに感動しています。(http://mnet.upf.cc/meisei/katei.html) 
ガンジーの言葉でその意をお伝えいたします。

「人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものだ。ほんの
少し汚れても、海全体が汚れることはない。」

「世界の不幸や誤解の四分の三は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え
去るであろう。」

「私の行動すべては人類への避けがたい愛のうちに源を持っている。 」

「もし、ただ一人の人間が最高の愛を成就するならば、それは数百万の人々の憎し
みを打ち消すに十分である 。」

「イギリス人が敵なのではなく彼らの考え方が敵なのであり問題さえ解決すれば
必ず良き友人になれる」

「弱いものほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ」  

「敵と相対するときには、その敵を愛で征服しなさい。」

「最高の道徳とは、不断に他人への奉仕、人類への愛のために働くことである。」

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マザー・テレッサの言葉でも代弁します。

* お互いに心から深く愛しあっている人たちは、世界で一番幸せ者です。私達
  が接するとても貧しい人たちを見ているとそれがわかります。子供を愛し、
  家庭を愛しています。持っているものは少なく、場合によって無一物ですが、
  幸せな人たちです。

*「愛は家庭から始まります。まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。両者が
  愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。平和とうるおいの家庭が築けた
  ら、隣人を愛しなさい。自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人
  を愛せません」  (1981年4月、初来日の際)

* 自分の家族、隣近所の人達から始まった愛は、やがて全ての人に向けられて
 いくようになるのです

* 一緒に住んでいたり、または血のつながった親族といった人たちにほほえみ
 かけることは、あまり親しくない人々に対してほほえみかけるよりむずかしい
 時があるものです。「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。

* 「人間にとって最も大切なのは、人間としての尊厳を持つことです。パンが
  なくて 飢えるより、心や愛の飢えのほうが重病です。豊かな日本にも貧し
  い人はいると思いますが、それに気づいていない人もいるでしょう」
               (1981年4月、初来日の際)  

*「この国にも飢えがあります。一切れのパンを求める餓えだはなく、合いを求
  める激しい餓えです。】  (1982年6月、ハーバード大学卒業式で)

* 油を足し続けなければ、ランプを灯してはおけない。

* 愛は、一年中が旬で、誰でも手が届くところになっている果物である。

* この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きい
  のです。この世で最大の不幸は、 戦争や貧困などではありません。人から見
  放され、「自分は誰からも必要とされていない」と感じる事なのです。

* 世界で一番恐ろしい病気は、 孤独です。

* どんな人にあっても、まずその人のなかにある、美しいものを見るようにし
  ています。この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう?
  そこから始めようとしております。そうしますと、かならず美しいところが
  見つかって、そうすると私はその人を、 愛することができるようになって、
  それが愛のはじまりとなります。

* いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、 愛が原因で間違った方が素敵ね。
  
 Mnet(Mimune, Missionary, Meshia, Mother)も「真(Makoto)」のネットに飛翔時が来たようです。
今日現在、Mnetは572名のメンバーに配信しています。Mnet, Dr.神明、与那嶺、伊藤武司、
古田武士さん等の協力も得て新しい段階へ飛翔しつつあります。どうか身近な真の信仰の友、
真の心のネットワークを広げようではありませんか? 恩恵交換できる身近な方々に声をかてください。
 小生は対社会的に有識者ネット(873人)人も配信しています。早成ネット、アジアhaha-heart-asia等、
投稿しているネットも数多くあります。

 愛は恐れがない。愛は勇気である。この意味を実感うる此の頃です。
私と神様、私と兄弟を隔てているサタンの障壁(不信、妬み、憎悪)の厚い壁を破れるのは真理のドリル、
死をも恐れない愛の力ではないでしょうか!

 1989年ベルリンの壁が簡単に崩れました。東西から東西を隔てていた壁がハンマーで打ち壊され居た
映像が印象的です。かつて自由(真の愛)を求め、命がけで東から西への脱走が続きました。容赦なく射殺
された人は数知れません。 私たちは多くの人々を天国へ導くべく、誘導しましたが、サタンの銃弾に倒れた
人々も数知れません。 親子、兄弟、親族身近な人々を隔てている心の壁、日韓、日中を隔てている心の壁、
一見仲のよさそうな家族関係、友人関係、日米関係さえ根底には不信の渦が沈澱しています。
 見えるトンネルだけではなく、見えない心の壁、国際間の不信の壁を崩さすして真の幸福、平和、発展は
ありえません。「人と人の心の仲人に!」

 小生7月3日(日)か7月10日(日」、お世話になった三鷹のアカデミー・ホームから伊豆の百鶴荘(苑)に
仕事場を移す準備に入っています。移動に当たりお手伝いを頂ける方はお知らせしらせください。既に2名は
決まっていますが、後2から3名は必要かと思われます。
 小生は伊豆に未来を先取りした高齢者ホーム作りに貢献したいと思っています。
身近な人々を犠牲にして、み旨のため、世界のため、日本のためと愛の無い生活を続けて多くの人々を踏み台
にしてきた罪滅ぼしです。またその先にアボジが晩年傾注された「新しい希望農場」海洋摂理が見えて来ます。
伊豆には戦前内村鑑三の子たちが開拓した「興農園」の跡地、10万坪のミカン畑も見て来ました。また沼津の
ヨットハーバーにはアボジのマスターマリーンのボートがありました。陸と海を繋ぐスポットにアボジの精神を受け
継ぐ準備基台が備えられつつあります。同僚はレダで老骨に鞭を打って今日も頑張っています。昨日5月6日は
放流式でいた。大統領も飛行機でかけつけましたが、あいにくの天候レダの上空を旋回して帰りました。
大切なのは環境の良し悪しにかかわらず、真の愛、感謝、喜びを残すことだとつくづく感じます。また早稲田大学
でのクラスメイト、佐藤建雄君はアセンシオンのボート工場で頑張っています。彼らの忠孝の精神、晩年、痛みの
危険信号を伝える足に「この足、従え!」と命令しながらみ旨の先頭に立たれたアボジ、戦場で戦闘死された梶栗
会長の命がけの信仰に負けないよう頑張りたいものです。病気から元気、「気」を取り戻して頑張りましょう!
それでこそ、先輩家庭としての誇り、輝かしい伝統と言えるのではないでしょうかないでしょうか!

今日は後藤新平の言葉で結びます。

自治の三訣(さんけつ):「自助、互助、自制」
 『人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして報いを求めぬよう』
 
「自分の為に仕事をするのは下だ。人の為に仕事をするのは中だ。天の為に仕
 事をするは上だ。」

「自分の為に生きるは下だ。人の為に生きるは中だ。天の為に生くるは上なり。」

「金を残して死ぬものは下だ。仕事を残して死ぬものは中だ。人を残して死ぬ
 ものは上だ」

「自分のために借金するのは下だ。人のため借金するのは中だ。天の為に借金
 するのは上だ。」
      
                 大脇  頓首

◎ 見える物だけではなく見えないものまで価値を入れて評価した方法は恩田杢、
  二宮尊徳の報徳・分譲・推譲も原理的です。地元の人には尊徳の言葉で話すと
 安心し、原理を納得しやすいです。
  
◎百鶴の話は小学校の教科書に載っています。

100羽のハトの内長旅に疲れ、弱った一羽が列から落後して真っ逆さまに墜落した。
群れのなんない常にウオッチしている鶴がいて、そのことを群れに伝えると落下速度よりも早く急降下して
力尽きた鶴を救うお話しです。今、我がグループに必要なのは縦の信仰と共に、横お兄弟愛ではないでしょうか!

 今の所、百鶴荘は任意団体なので税対策上方法をいろいろ考慮されています。それまでの当面、下記の口座を
通じてご支援ください。1800双の方々が何組か入居されていますが、仕事が無いため苦労されています。
この苦労の坂を超えれば、すぐそこに平原が待っています。出発の当初なにかとあるものです。八木さんは
ダスキンの支社を立ち上げ、何人か食口が働いています。節税対策、軌道に載せるあためのアドバイス等
ご協力を賜れば光栄です。

1、 Net友の会” 郵便振替口座番号:001308-155727
2,、ゆうちょ銀行 普通 店番:00八 口座番号:4619747 口座名義:特定非営利活動法人 未来構想戦略フォーラム
   (郵便局から振込:記号:10020  口座番号:46197471)  
3、 郵便局)記号:15200 番号:5426361 尾脇準一郎 ゆうちょ銀行 店名:五二八 普通 店番:528、番号:0542636
    (始めの2つは公的、3つめは個人的口座です。)

愛郷運動を進めよう!詳細はこちら

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 小生、早稲田原研、勝共、アカデミー、熊本、森岡、鶴岡、大阪の教会、バハマ、レダ、そして2000年代の
未来構想・市民国連と言い、みな開拓でした。信じるものと言えば、目に見えない神様、心の中の夢(希望)
であり、完全投入あるのみ。高村光太郎の詩『道程』が浮かんで来ます。

道程  朗読MP3

の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ

この遠い道程のため
この遠い道程のため

解説

「道程」は道のり、行程のこと。「人生の歩み」を示しているのでしょう。雄大な自然に支えられ、
この道程を歩いて行こうということです。
ただし高村光太郎のいう「自然」は「父よ」「僕を一人立ちさせた広大な父よ」という呼びかけから、
単に優しいものではなく時に突き放したり厳しい父性を備えていることがわかります。

高村光太郎がキリスト教に感心が強かったことも関係しているのかもしれません。
初唐の詩人、陳子昂(ちんすごう)の「幽州台に登るの歌」に書き出しがよく似ている。
前に古人を見ず
後に来者を見ず
天地の悠悠たるを念おもい
独り愴然として涕なみだ下る

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道程(以下は『道程』の原型、その全文です。)

どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる

何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められかけたあの道
幼い苦悩にもみつぶれたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだらう

それだのに
やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命(いのち)の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
たうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一変した
俄かに眼前にあるものは光を放出し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そしてその気魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!

僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつていた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところにたちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた

すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく

しかし四方は気味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのように苦しいものだ
僕はその時又父にいのる
父はその風景の間に僅かながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を 僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや這ひまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつと此の風景に養はれ育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしてゐるのだ

ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため