愛郷運動の進めよう! (内・全文)

愛郷運動は、愛家(庭)運動を基盤とし、愛国,愛世(界),
愛地(球),愛天(宙)に広がるものである。

 故郷(コヒャン)、何と心地よい響きひびきであろうか? 故郷はなぜ人々の心に
これほどまでに懐かしい想いを抱かせるのであろうか?それは自の生命の誕生の地、
父母、兄弟、竹馬の友が住む所だからでようある。鮭や鱒も故郷に戻り、そこで
産卵し死んでゆく。日本や韓国では毎年、盆と正月には民族大移動が起こり、交通は
いつもパニック状態になるが、それにも関わらず、この民族大移動は一向に変わる様子
はない。故郷を懐かしむ心が消滅しない限り、この動きが絶えることは無いであろう。

 人の命は、一人だけの存在により生まれることは不可能であり、必ず異性との出会い
から生まれる。ある相対が一体化作用するには、相対基準が必要であり、相対基準を
認めるならば、合目的性を認めざるを得ない。そこで、文先生は、対立物の闘争によって
発展するという弁証法の誤りを発見された。そして目的の背後に意志があり、その背後に
愛があることを見出され、神の実在を確信された。さらには、宇宙は神の愛に抱かれて
おり、森羅万象の運行は神の愛の交響曲の調べてあることを発見された。また、この
生命の根幹が父子関係にあり、人間にとって最も基本的な規範は家庭にあることを悟ら
れたのである。

 命の根源は愛に始まる。懐かしい愛の香りを求めて人々は
懐かしい愛の香りを求める心が故郷を懐かしがるのである。

 日本の「故郷(ふるさと)」の作曲家、岡野貞一は、近代化に少々遅れを取ったため
素朴な面影の残る鳥取県の出身で、40年に亘って渡って本郷教会でオルガンを弾いた
篤実なキリスト教徒であった。韓国の「故郷の春」の作曲家、洪蘭坡も田舎の出身で、
熱心なキリスト教徒、生涯教会の音楽演奏に奉仕した。この2つの曲は国境を越えて
、心が洗われる純朴さや、心の洗われるような純朴さ、自然ののどかさが感じられ、
魂に共鳴する曲である。


 
我々が、従来から最も優れていると思い込み、誇ってきた
現代文明が綻び、今日、危機を迎えている


 現代文明はルネッサンス、産業革命、民主主義革命を経てもたらされたものであり、
この変化は、近代化と称さるものである。歴史的に見れば、それは科学・技術革命と
いう環境革命を特徴とし、個の自由、民主主義、人権をモットーとしたものである。
この個を重視したパラダイムの下、目覚ましいい科学技術の発達がもたらされ、
世界は一日生活圏内に結ばれつつある。便利で快適に豊かに暮らすことが人生の
目的であるかのごとく人々は忙しく凌ぎを削っている。その象徴が米国であり、
米国は巨大な軍事力と経済力を背景に、自らの国是とする自由と民主主義、
人権を押し進めることが正義であり、グローバリゼイションは歴史の必然である
と信じて疑わない。ヴェトナム、湾岸、イラク戦争等の負の面を捨象し、臆面も無く、
正義の押し売りを続けている。

 
現代文明は、切り花文明であり、その欠陥は、命の尊厳を忘れていることである。
現代文明は、現代文明は、自分の命の源である父母、先祖を無視して、「我思う
故に、我あり(コギトウ・エルゴスム)」と自己主張する文明に立脚している。
民衆の自由や人権を圧殺する中世封建社会を否定し、個の自由を守るべく、多く
の命を犠牲にしてされた建国したフランスや米国に対して一面の共感は覚えても、
諸手を挙げて賛美することはできない。


 今必要なことは、近代化の過程で失われたものを見直し、
命を育む伝統文文化と融合する新しい人類文明を創造
してゆくことであろう。我が日本は、アジアの諸国に先んじて
近代化に成功した。


 和魂を堅持して洋才、即ち西欧文明を導入したことは、その後近代化を目指す後
進国の発展のモデルともなって来た。日本は近代化の成功を和魂の優秀性と思い
あがり、隣国の伝統文化を軍事力で踏みにじるだけではなく、洋才の本家、英米
と一線を交えることとなった。それは文明の衝突とも言うべき全面的対決であっ
た。日本は軍事力では負けたが決して文化力で負けたのでは無かった。占領軍は、
日本が二度と立ち上れないように、再武装や交戦権を放棄させただけに止まらず、
和魂を恐れ、その根絶まで図ったのである。自由と民主主義、個人の人権を重ん
ずる米国人にとって、天皇の令一下、命知らずの特攻精神は彼らの到底理解でき
ない異様であったからである。

 戦後、日本人は自ら進んで和魂を捨て、自由と民主主義、人権尊重を受け入れ、
建前としては軍事力も放棄し、ただひたすら経済復興のみに専念して来た。80年代
に経済大国として世界舞台に登場した日本であったが、それは国際社会から尊敬
される名誉ある地位どころか、エコノミック・アニマルとさげすまされる状況さえ生ま
れた。経済成長が下り坂になると、それに並行して、国民の自信も元気も失せつつ
あるかに見える。 元気を取り戻すために経済再生も勿論であろうが、人間の自信と
誇りの原点である文化力の再生にもっと力を投入すべき時である。


 今、我が国のテレビ番組は殺人ミステリー物が花盛り、そうでなければ、初めか
らストーリーの決まったワン・パターンの時代劇である。韓流・華流ブームの底流に
あるのは、日本では既に失われつつあるかに見える忠・孝・烈の東洋の伝統文化
への郷愁を掻き立て、日本人を元気にしてくれる生き方、考え方であると思う。
3S(スピード・スリル・サスペンス)の破壊と殺人の物語のハリウッド映画よりは、
人情の機微、親子兄弟の情愛を色濃く描いたアジアの映画、愛国ドラマに血湧き、
肉躍るのである。


は愛で生まれ、愛で育ち、愛で結ばれ、子を生み、
愛に囲まれこの世を去る。


 その基盤は家庭あり、父母に愛、夫婦の愛、子女の愛を完成することが人生の
目的である。個人にしても国家にしても、権力や地位・名誉、富を得ることは、そ
のための2次的、3時的手段に過ぎないことを悟るべきであろう。


 現代文明は全面的危機に陥っていると言わざるを得ない。人類は今、核兵器戦争
の脅威に慄き、年間4千万人もの餓死者を出すほど富が偏在が硬直化し、人生の
根本的基台である家庭が雪崩の如く崩壊に向かっている。この抜き差しならない
十字路線上にあって、現代文明を救う道は、家庭的伝統文化を共有する東アジア
の3国、日本・韓国・中国が、自らの伝統を主体的に見つめ直し、西欧近代文明
と融合し、西欧と共に、現代文明の救済、新文明の創造に立ちあがることである。

 家族への愛は親族、友人への愛、郷土愛、愛国心に通じ、愛国心は人類愛に広が
る。しかしながら、自他との連鎖を持たない閉鎖的な庭愛(マイホーム主義)や偏狭な
国家主義(ショービニズム)ではなく、開かれた家庭愛、自国とともに他国をも同等に
敬う開かれた国家主義でなくてはならない。


 生命の尊厳を信じる我々は、愛の存在が生命誕生の根源的要素であり、家族・
友人・隣人・国家国民・人類同胞に対する愛に最上の価値があると考えるもので
ある。この愛が最も自然に育まれる所は、両親の下に生まれ、兄弟と共に育てら
れた故郷である。 
我々は、故郷の再生を発起として、国家の再建、世界平和
の実現に取り組むことをここに決意する。

   2013年4月
                 愛郷運動推進発起人一同
              


   「愛郷運動推を進めよう!」  (内・抄文)

 
 愛郷運動は、愛家庭運動を基盤とし、愛国、愛世、愛地、愛天に広がる
  ものである。


 命の根源は愛に始まる。懐かしい愛の香りを求めて人々は懐かしい愛の香りを
求める心が故郷を懐かしがるのである。

 人は愛で生まれ、愛で育ち、愛で結ばれ、子を生み、愛に囲まれこの世を去る。
 その基盤は家庭あり、父母に愛、夫婦の愛、子女の愛を完成することが人生の
目的である。
 家族への愛は親族、友人への愛、郷土愛、愛国心に通じ、愛国心は人類愛に広
がる。しかしながら、自他との連鎖を持たない閉鎖的な庭愛(マイホーム主義)や偏
狭な国家主義(シュービニズム)ではなく、開かれた家庭愛、自国とともに他国をも
同等に敬う開かれた国家主義でなくてはならない。

 ところで、我々が、従来から最も優れていると思い込み、誇ってきた現代文明が
綻びをきたし、今日、危機を迎えている。

 現代文明は、切り花文明であり、その欠陥は、命の尊厳を忘れていることである。
今必要なことは、近代化の過程で失われたものを見直し、命を育む家庭的伝統
文化を共有する東アジアの3国、日本・韓国・中国が、自らの伝統を主体的に見つ
め直し、西欧近代文明と融合し、西欧と共に、現代文明の救済、新文明の創造に

立ちあがることである。

 生命の尊厳を信じる我々は、 愛の存在が生命誕生の根源的要素であり、家族
・友人・隣人・国家国民・人類同胞に対する愛に至上の価値があると考えるもので
ある。この愛が最も自然に育まれる所は、両親の下に生まれ、兄弟と共に育てら
れた故郷である。 我々は、故郷の再生を発起として、国家の再建、世界平和の
実現に取り組むことをここに決意する。

   2013年4月
                    愛郷運動推進発起人一同


              

◇ 対社会向けはこちら⇒ 愛郷運動の薦め
◇ 愛郷運動に関する原理的根拠