「朝鮮半島から希望の陽は昇る」

始めに断って置かねばなりません。
今現在の朝鮮半島(韓国・北朝鮮)からという意味ではありません。
かつての本来の朝鮮半島の地で開くはずであった文化の国からという意味です。
私は系図学を専門としており、韓国朝鮮の族譜の存在もよく知っています。
朝鮮半島では1000年前より氏族的な文化が中心となってまいりました。
勿論、原始的氏族体は人類発祥の時代から存在していたと考えられますが、特に血系と
しての氏族体を韓国では門中という言葉で継承されてまいりました。
今は韓国でも失いつつある門中というこの文化が、如何にこれからの人類にとって世界の文化形成に重要なポイントであるかを説明して21世紀における朝鮮半島の重要さを改めて確認したいと考えます。

世界的に見て、門中という文化は私の故郷沖縄県と朝鮮半島にしか存在しません。
この文化的特徴は血系を唯一とし、他の男系からの養子相続などが認められないところにあります。これを血系文化あるいは門中文化と呼びます。
日本や東南アジアをはじめ、家の相続は他人でも成立する文化を家系文化と呼びます。
この血系と家系との文化的相違を研究しますと、21世紀の人類に神が準備するはずであった世界平和と人類総家族的文化形成のさきがけが門中文化であったことが分かります。

何が異なるのかを具体的に説明いたしましょう。
例えば、日本では両親がまだ健在の場合、次男や娘達が故郷の実家に帰郷すると「我が家」に帰ったといい、自分の昔の部屋でもどこでも自由に安心して憩うことが可能です。
では、両親が亡くなって兄夫婦とその子供達の家に帰郷するとしましよう。
一般的に日本では、近くのホテルに宿を借りて、兄夫婦に迷惑にならない程度の気遣いと贈り物を先祖の仏壇に供えながら、お墓参りをしたりして夕方にはホテルに引き揚げることで故郷への旅路を終えるでしょう。
兄弟でもお互いに配慮した気遣いが日本流のおもてなしなのです。

では、韓国ではどのようになるのでしょうか?
最近は韓国でも大分本来の文化が希薄になりつつありますが、それでもまだ田舎では兄夫婦はこぞって弟夫婦や妹夫婦をまるで親のいるような雰囲気で家に迎え入れます。
家でとれた野菜や果物などを料理して振る舞い、「これもこれもお前達の野菜だ」と言わんばかりに弟の家族や妹の家族が気遣いしないように逆に気遣いするのです。
もし、家に泊まらずにホテルに泊まるなどということがあると逆に兄弟が他人になったようで兄夫婦の方が「それはあんまりだ!」と悲しみや怒りが出てきたりします。
血というものは同じであるという一言で1000年昔の分かれた門中でも一つの家族という人と人の距離がまるで無かったかのような情愛が沸き立つものです。
まして兄弟ならば遠慮など他人行儀で非人間的な情愛のかけ方なのです。
兄弟の家族がソウルに帰る日は又会える日を望みながら「これも持って行け、もっと持って行け」とばかりに車に積めるだけ積むのです。
血系と家系の文化の雰囲気の違いがご理解いただけるでしょうか?
ワンファミリー・アンダーザゴッドなる言葉が日本でも世界中でも言われて久しいのですが、本当の血の通う人間関係には程遠いと思わざるを得ません。
そのような意味でも人間と人間の距離感が近い方が、より情愛的幸福感が増すものと考えてよいかと思われます。

また、現在は多くの国々が選挙などで物事を決める民主主義を国是としています。
即ち、多数決の原理です。しかし、19世紀にもすでに弊害が指摘されており、その多数による決定は負けた立場の者への配慮がないことは多くの政治学者の課題でした。
例えば、両親と五人の子がいるとして、旅行の計画を考えたとしましよう。
二人の子が海で船に乗りたいといい、三人の子が山で紅葉を見たいといって、意見が分かれた場合、さて、両親はどのようにまとめれば良いのでしょうか。
民主主義原理の場合、多数決では山といった子供たちは大喜びし、海といった子供たちはがっかりすることが分かります。一家にとってもけっして楽しい旅行とはなりません。
ところが両親が調停する家庭では、船にも乗れて、紅葉も楽しめる山中湖あたりを旅行先に決めるのではないでしょうか。そこなら両方とも二倍三倍の喜びがあると両親ならば子供たちに互いを生かす道を示すことができます。
簡単な例えですが、これが本来の人類が持つはずであった主義ではなかったでしょうか。

実のところ、血系文化は長男の長男が最大の尊敬を受けます。
長男が右といえば、一族全体が右へ回るのです。上といえば皆従います。
なぜでしょうか?
長男は父母の代身だからです。一族に常に仕え絶対愛で、絶対屈服で絶対従順で育んできた父母の心情を備えた人生を歩むのが長男です。
ですから、人類歴史は常に親と一体となった長男を求めてきた歴史といえます。
親が永遠に生き続けることは出来ませんが、その精神は長男に継承され子から孫へと受け継がれていきます。
そのような事は家系文化圏では成り立ちにくく、血の繋がる血系文化圏に於いて代々の長男が父母の代身という役割を担うことが自然に成り立つものと考えられます。
個人から家庭、家庭から氏族、氏族から民族へと発展する場合、血系の伝承が中心にあるべきであったのです。

この長子を立てる民族が実は他にもありました。
ユダヤ民族です。
旧約聖書の冒頭の創世記は◎◎の子は□□、□□の子は△△と血筋の話から始まるのです。新約聖書も冒頭のマタイ伝はイエスキリストの系図として○○は□□の父、□□は△△父と血筋の親子の確認から始まるのです。
神様は何をご計画されてこのような民族を準備して来たのでしょうか?
それは神の代身としてのイエス・キスストを迎えて壮大な父母主義を実現するためではなかったでしょうか。

儒教は政事の中心は仁の心と言いました。仁政です。
仁は二人と書き、本来の父母を暗示した言葉です。

朝鮮半島における4000年の歴史は血系の文化を確立する意味で重要な歴史であるとみて良いのではないでしょうか。
また、この朝鮮半島と日本列島という二つの民族は、言語の語源や語法に多くの共通項を
持ち、精神的な補完的関係にあります。
即ち、朝鮮半島の血系文化と日本列島の家系文化は足して初めて父母の思想へと発展することができます。朝鮮半島の血系文化が血縁、地縁、学縁などの閉鎖的集団を作りやすく
競争や上下関係に多大な問題点を持つことも理解してみると、日本列島の血縁や地縁や学縁を理解しながらも縁に頼らない公平な柔軟性ある文化が必要であることも確かです。
この二つの民族は父親と母親のような相性の良い民族なのです。

人類は今まさに二つの文化が一つとなる時を待っています。
朝鮮半島の南北の統一を契機に、血縁文化は一挙に復活するでしょう。
南北の門中が出会うのは人類が一つとなる魂の溶鉱炉を作り上げる神様の願いです。
韓国と日本が一体となり、人類永遠の真の父母の愛に暮らす新世界を創りましょう。


コメント)小生、1986年8月、E.Gで突然、李戴錫、崔容績、金奉戴氏ら4人、UTSに行けとの
 命令を受け、UTS、で日・韓・米の比較文化論を学びました。
 そのなかで中国系米国人のF.L.K.シュー「クラン(氏族)・カスト・クラブ・家元」F.L.K.シュー、 は大変示唆に富む本でした。また金容雲先生の「民族の原型」という本も日韓
の同質性と相違点を見事に対照した本でした。妥協を許さぬ韓国と状況によっては変節する日本、このことをシュー氏は日本は疑似家族制(真に家元、日本的経営)と言っています。
春香伝が人気の韓国と唐人お吉、常盤御前、お宮に心を惹かれる日本人を見ればわかるでしょう。それは普遍を目指し頑固一徹な父親と環境の変化から子を守るためにも環境の変化に敏感な母親に似ています。その意味で与那嶺さんの男女相補性、日韓の相補性は納得できます。
閉塞状況の日韓関係に今、最も必要なのは、共に生きる夢を見ること、神のみ旨に焦点を合わせることでしょう!それは、行き詰まりに堕ち入った西欧の個人主義(自由・民主・人権:自己主張)を東アジア3国に共通する家庭主義(忠・孝・烈:対象的価値、為に生きる)を韓日が協働して世界に広めることでしょう。 大脇記