第2回 政治家と学者との懇談会
  

  日時 1980年10月22日(水)PM3:00~5:00
   場所  自民党本部 リバティー3号室


議 題 「80年代の主要政策課題」

出席者

 党役員
   幹事長            桜内義雄
  政務調査会副会長       加藤六月
  総務会副会長         郡 祐一
  調査局長           三塚 博
  調査局次長          林 大幹


 学 者
   国際交流基金理事長     林健太郎
  筑波大学学長        福田信之
  京都産業大学教授      入江通雅
  筑波大学教授        鈴木博雄
  国際経済センター理事長    紅林茂夫
  上智大学教授        高根正昭
  慶応大学教授        中村勝範
  上智大学教授        渡部昇一
  筑波大学助教授       中川八洋

次 第

  司 会    三塚 博 調査局長
  懇談会司会  福田信之 筑波大学学長
 
  党役員紹介
  学者紹介
  基調提言   入江通雅 京都産業大学教授
         福田信之 筑波大学学長
  懇 談


Ⅰ.80年代は総合の時代

(1) 国際協調の重要性

現在、アメリカ、EECとの間に貿易上の問題があるが、これについて日本は国
際協調という路線でものを考え、それを明確にする必要がある。

その理由は二つある。一つは、現在の世界は、経済は経済、軍備は軍備、外交は
外交というふうに分けて考えられる時代ではなく、総合の時代だということであ
る。経済問題が日本の防衛に非常に大きな関係を持っている。

民主主義体制では、国家、政府の権力は必ずしも強くなく、その国の世論が重要
な役割を果たす。その意味で日本が、ソ連との間に何らかの重大な事態に立ち至っ
たときに、アメリカが日本を助けるか助けないか、これは安保条約のあるなしで
はなく、日本が民主主義陣営の一員として重要であり、国際協力に非常に骨を折っ
ているという認識がアメリカやEECの世論にあるかないかにかかっている。要
するに、日本が民主主義陣営において愛される国であるかどうか。これが日本の
防衛を決定するということである。

たとえば経済に限っていえば、非常に省エネ的な優秀な日本の自動車をアメリカ
の消費者が喜んで買うのは当たり前だということで押し切るのは、たいへん無理
がある。総合的にものを考えることが必要である。

第二に、仮に80年代が総合の時代でないとしても、日本の商品は良くて安いか
ら、いくらでも売れるのは当たり前だということだけで押しまくるのは、国際協
力という立場からすると問題がある。お互いに秩序ある貿易をやらないと、民主
主義の原則にも反し、緊急な状態でない場合でも、日本がつまはじきに遭う。


(2) 国際文化交流への提言

 まさに現代は総合の時代で、文化交流が重要である。たとえばアメリカの地方
新聞には、日本のことはほとんど出ない。しかし、今アジア大学のスチュアート
さんが非常に努力して、日本に関する情報を向こうに送っており、それで最近は
地方新聞にまで日本に関する記事が出るようになった。実はそれを国際交流基金
で援助している。そういうような仕事は大事である。利害の対立があるならある
で結構だが、お互いの相互理解を進めることがきわめて重要である。

 国際交流基金とか、学術振興会とか、国次元での国際交流はわりと進んでいる。
しかし、学術交流の中心はアメリカでも先進国においてはすべて大学である。大
学に国際交流の計画を進められるだけの配慮をどこの国でもしている。

しかし、わが国では、大学予算の用途の自由を認めるだけの自治が大学にはない。
せめて一部の予算――たとえば、0.1%としても100億の予算を持っている大学は
1000万円(約5万ドル)になる――これを東南アジアや中近東から人を呼んだり、
派遣したりする金として大学に計画を持たせれば、金をかけないで活発な国際交
流ができる。それぞれの大学が中近東、アフリカ、先進国と各々対応できる。そ
うすれば日本の大学も活力をとり戻す。しかし、現状は国際交流のセンスが大蔵
省の役人にも、大学にもない。だからといって国立大学のいくつかの大学で最初
にやったら、大学に差別を付けることになり、全国の国立大学に同じようなワク
で出せとか、いろいろな問題が起こってくる。

 昔、ガリオアエロア資金があったと同じように、外国に米の援助をして、将来
返してもらった金で国際交流、その他のための基金的なものを作ったらどうかと
考えている。

 自民党の先生方の国際交流でも改めていただきたい点がある。先日も自民党の
先生が北朝鮮へ行き、お帰りになって、「偉大なる指導者のもとに飛躍的に発展
している」という発言をしたり、「南侵の意図はないんだ」と誰かに代わって発
言したりするようなことでは、国民のモノ笑いの種になる。世界でそういう意識
を持っている人は、民主主義国家においていない。こういう国際交流は、いくら
やっても意味がない。


Ⅱ.憲法問題について

1)憲法論議は具体論で

 20代、30代半ばの人は、生まれたときにすでに現在の憲法が存在し、しかもそ
の憲法のもとで今日の平和と繁栄を享受してきた。そのため、憲法改正というと、
現在の明るさが失われて暗くなるという感じを持つ。

 憲法改正論議において、その生成過程が問題にされる場合が多いが、押しつけ
られた憲法だからだめだとは言えない。押しつけられてもいいものはいい。現に
世界を見ても、他国の国会を通った法律を憲法にしている国もある。たとえば、
カナダは、1867年にイギリスの国会を通った法律を憲法にしている。これに対し
てクラーク首相は、「自前の憲法を持ちましょう」と訴えているが、国民の反応
はきわめて冷やかである。したがって、押しつけられたから改正しなければなら
ないというだけでは説得力に乏しい。

 しかし、9条2項が存在するために、日本の安全を保つことが難しいというこ
とであれば、これは当然改正すべきであるとする反応は強い。こういう具体的立
場から論ずるべきである。現に、今の憲法のもとでは集団安保はできないとか、
日米安保の偏務あるいは海外派遣ができないなどの深刻なさまざまな問題がある。
これは改正すべきである。

各国では憲法改正をしょっちゅうやっているが、憲法改正という言い方をする国
はほとんどない。どこの国の憲法改正運動を見ても、ある特定の条項を入れてほ
しいといった、具体的な内容で運動がなされている。つまり、抽象的に憲法改正
という言い方をする運動は国際的に例がない。したがって、憲法論議は具体的に、
こういう目的のために、こういう条項を入れてほしいとか、削除してほしいとか
いったやり方をすべきである。

(2) 憲法制定過程を明らかにする


 歴史的にみると、ちょうど100年前の1881年(明治14年)、明治14年の政変
があって、それから詔勅が出た。そして、憲法発布をした。その頃は憲法論議が
盛んで、明治憲法は国民がいろいろ考えて苦労してできた。今度の憲法について
もそれは必要である。 そういう意味で、憲法の制定がどういう状況でできたか、
どういう論議が行われたかということを明らかにしていき、やり方としては、具
体的にこういう点が悪いという運動の仕方をするのが良い。

(3) 自衛隊合憲論の定着へ

 憲法改正には、あくまで改正手続きが必要であるから、これはかなり難しい。
だから、改正しない範囲でも、自衛戦力は持てるということをもう少しはっきり
させる必要がある。日本国憲法の永久平和主義は、なにも無防備、無抵抗を定め
たものではなくて、自衛権はあるのだということは最高裁でも言っている。もっ
ぱら自衛の要にのみ発動されるように組織された戦力であれば、どのような火力
であれ、どのような大きさであれ、なんら差し支えなく持てると解釈することは
可能である。裁判所の判断として、自衛戦力という言葉で合憲を言ったのは水戸
地方裁判所だけであるが、この解釈を定立させていく努力も合わせて行っていく
べきである。

(4) 国家と国民の関係の位置づけ

 憲法論議の中で、もっと国家と国民との関係をはっきり位置づけるべきではな
いか。国の使命は独立を保ち、国民の安全を確保するということである。人間と
いうのはほかの動物と違って、自分のことを一生懸命やると同時に、他と協力す
る、他に尽くすという本性がある。こういうところを基本にして、国と国民との
関係をきちっと位置づけて、憲法を考えていかなければならない。そういう議論
がこれから発展していくべきであって、表面的な言葉の遊戯で終わってしまって
はならない。

 しかし、新しく来年から採用される中学校の社会科の教科書には、愛国心もな
にもない。個人と国家の問題でも、個人のエゴイズムだけを通せというようなこ
とで徹底している。


Ⅲ.安全保障への提言

(1) 伊藤律 問題の本質


 伊藤律氏が約30年ぶりに生死がわかって帰国した。が、これに対する日本の学
者、文化人、マスコミの扱い方は、ずれているのではないか。伊藤律氏の生存が
確認されたときの一般的反応は、「帰国したら戦前、戦後の日本の歴史の空白の
部分が埋められるのではないか」というものだった。

しかし、一番大きな問題は、歴史の空白の部分が埋められるということではなく、
30年近く、一人の人間が生死不明の状態に置かれていたことに対して、日本共産
党が完全に無関心であるとか、あるいはわざととぼけていたということにある。
人間一人の命は地球よりも重いというのが民主主義の原理、原則だとすると、北
京において査問した当事者の一人が日本に帰って党の幹部の座を久しく占めてい
たのに、その党が今まで無関心であったということは、日本共産党が民主主義の
政党であると自称はしていても、実はそうでないという証拠である。この点をしっ
かりさせていくことが、実は伊藤律問題の一番大きなポイントである。このよう
な問題を各々の立場で追及していかなかったら、自由と民主主義は維持できない
のではないか。

(2) 効果的な軍事力の向上


 防衛の問題は、単に防衛費を増やせばよいというものではなくて、将来考えら
れる脅威に対して、どのような戦力がもっとも効果的であるかという観点から、
総合的に検討し直す必要がある。陸海空に今まで通り分けるということではなく
て、ミサイルや電子兵器に最重点を置いてやっていくことが必要ではないか。

(3) 軍事的国際交流の提言


 日本の防衛庁、自衛隊は外国の軍人、シビリアンとの交流が全くないといって
よい。通常、ほかの国々では、お互いにジョンとかポールとかいって呼び合い、
しょっちゅう会っている。それで共同的な交流ができる。しかし、日本の自衛隊
やシビリアンは、軍縮などの会議にもともと出席しない上、出席者が会議のたび
に変わるので友人がいない。国際感覚がないだけで、そういう関係で情報が入ら
ない。

 たとえば、イラン・イラク戦争で、シャトルアラブ側に閉じ込められた船はな
んとギリシャとトルコと日本の船しかない。他国は事前に全部情報を共有し合っ
て出て行っている。だから、もう少し軍人を制服組、シビリアンを含めて交流さ
せる必要がある。

 それから、日本の軍人の質――戦意ではなく、純粋に技術的な質が悪い。その
一番端的なのが、この前のリムパックで直接そこの将校団のトップの中将から聞
いた話によると、日本の海上自衛隊の技術はまさに子供であると。とてもじゃな
いけど見ていられないというのが実際だったようである。そういう技術水準が低
いということすらもよく知らないで参加している。だから、戦争が始まれば、当
然自衛隊の若手将校に戦場を見せるとかして国際的トレーニングなどをしないと、
井戸の中の蛙
(カワズ)に陥っているような感じがする。

 駐在武官には、国によっては公使待遇の交際費を渡して、駐在武官どうしで徹
底的に仲良くなれといっている。しかし、日本の駐在武官は情報の取り方が下手
なのと、アメリカ情報中心で、そのワクから一歩も出ない。ベトナム戦争でも、
アメリカ大使館と米軍筋からしか情報が入らないというところに、非常に問題が
あった。これはある面では、駐在武官の交際費が問題である。それから、軍の交
流は、リムパックをやるだけでも大変な勇気と決断が必要であった。徐々に進ん
でいるが、効果はまだまだである。

(4) 情報力の向上のために
 

 たとえば、大学を中心にした国際問題研究所――コンソーシャルでよい――を
アメリカなどの重要拠点にいくつか置くとよい。そうすると、情報はなんでも入
る。大学だと、キッシンシャーであれ誰であれ、1か月ぐらい喜んで研究員になっ
てくれる。日本の防衛庁の人でも、向こうへ行って研究所の要員として誰にでも
会える。さらに、大学だと、アメリカなどでも国務省でも何でも話してくれる。

 「外務省です」となったら公式資料は入るが、情報はなかなか入らない。だか
ら、もう少し非公式な、大学を中心とした国際問題のための研究所をいくつか作っ
た方がよい。 たとえば、NIRAにしても国内だけだが、もう少し外国へ出し
ても経費はたいしたことない。 日本は平和国家だから、一番耳を澄ましてやら
なければならない。大学の連合でいいから、研究所をワシントンとか、ECのジュ
ネーブ、中近東などにいくつか置けば、膨大な量の情報が入ってくる。


Ⅳ.教育改革への提言


(1) 教科書問題
 

 教科書については、問題が二つある。一つは、左翼の連中が寄ってたかって教
科書を作っているから、出てくる教科書はみんな左だということ。だから是非と
も適切な考え方をもっている学者を応援して教科書をつくらなければいけない。
というのは、局部的なところは直せても、全体のトーンは何ともしようがない。
これを解決するには、堅実な人たちが書くしかない。これが一つ。

 もう一つは、この教科書は全く認められないと言うと、文部省のほうでなんと
か認めてやれるようにしてくれないかと言う。なぜかというと、全部だめだと言
うと、この教科書を出している会社が潰れる。潰すわけにはいかないというので
ある。これは、文部省と教科書会社が癒着しているというわけではなく、検定委
員が潰したということになると世論がうるさい。潰しても当たり前だという社会
的な風潮が出てこなければ、文部省は潰せない。その二つである。

(2)日教組対策

 
 それから教育の問題はなんといっても、日教組が問題である。教科書の採択は、
それぞれの県単位でやる。その段階で日教組のプレッシャーが非常にかかり、ど
うしても変な教科書が採択されてしまう。だから教科書会社がそれに合うような
教科書を作らざるをえない。
 自民党は前から日教組と対立しておられるが、文部大臣が日教組と話し合うな
どして、日教組が文部省と対等であるかのような印象を与えるのは一番いけない。
組合そのものは弾圧することはできないが、とにかく影響力を少しでも少なくす
る必要がある。日教組離れをどんどん進めて、日教組の影響力をとにかくなくす。
これが一番根本である。 役人への接触も日教組ははるかにうまい。

(3)教育制度の改革


 初代の文部大臣、森有礼は安くて、効果的で、国の役に立つという三つの原則
で日本の教育を作り上げた。しかし、戦後の教育は全部、その反対である。高く
て、能率が上がらなくて、それでいて国の役に立たない。

一番の問題は、中学、高校が全滅状態。なぜ全滅状態になったかというと、先生
が悪いとか、いろいろあるが、基本的には中学、高校を3・3で分けることに問
題がある。すでに高校が90数パーセントの進学率であるから、3・3で分けるこ
と自体、教育の指導上、問題がある。教育制度を考え直さなければいけない。と
いっても、定着している制度をそう簡単に大きく手直しすることは難しいから、
5歳児から小学校へ入学させて1年繰り上げるとよい。中学・高校を一緒にして
5年、その上に大学を4年。ちょうど20歳で卒業できて、しかも今のレベルがだ
いたい保てる。

とくに女子の場合、20歳で卒業できるのと、22歳で卒業できるのとでは、たいへ
ん違う。今の教育では、学校では基礎を教えて、もっと勉強したければ世の中へ
出てからやるというシステムができているから、できるだけ早く世の中へ出した
ほうがよい。この制度の特徴は、高校の入試がなくなることである。

もう一つは、教育の基本の問題である。価値観の問題である。これからは、日本
の教育の一番の基礎となる価値観を固めていく時期で、10年ぐらいかかっても、
国を守る教育とか、勤労を愛する教育とか、そうした価値観をしっかり作り上げ
ていく必要がある。
その場合、中教審に出す前に党なら党、もしくは文部大臣なり総理大臣の諮問
機関で、私的に基本的なものを十分に詰めて、その後、中教審に出せば、かなり
内容のあるものになるのではないか。


.財政再建、行政改革への提言

(1) 財政再建について

 国債の問題は早急に解決しようとしては絶対にいけない。国債があるのは不健
全だという考え方が強いが、そういうことはない。これは長い月日をかけて解決
すればいい。そういう立場で考えないと、財界にとって重荷になるし、結局、日
本経済を弱体化させることになる。また一部の国債は、永久国債であっても差し
支えない。たとえば、イギリスには永久国債がある。個人なりが、投資対象とし
て選択しうるような形にしておけば、いろいろ所有者が変わることになって、国
債があることが不健全だということにはならない。

 それから国債を発行していると、子孫に大きな負担をかけると言われるが、こ
れも誤っている。つまり国債を持っている人には金利が入るから、それだけの財
産を持っていることになる。国債が投資物件としての対象になっていれば、戦争
などで全部がご破算になってしまわない限り、国債は決して子孫に負担を残すも
のではない。

 財政再建には、増税は不可避である。それには、間接税を大幅に考えるのが一
番いい。なぜなら、所得税をばっさり取られるというのは問題がある。ある程度
の生活水準を保とうという場合に、税金を国家に納めて、それぞれの生活水準を
作るということであれば納得ができる。そうすると、節約しようと思う者は節約
するし、税金をだして贅沢するという者はそうすればいい。全体的にいって、直
接税ばかりではなく、間接税を重視するほうが、重税感が少ない。

 赤字公債の発行分については、いまだに国会にかけ、毎年法律改正をする。そ
れで、建設公債分は、3、40年、あるいは50年、期限が切れても繰り返して伸ば
していいのではないか。しかし、赤字公債分については解消しようと考えている。
公債を全部ゼロにしようとか、これを一定限度以下に抑えようとかいうことでは
なくて、10数%か、20%前後ぐらいの国債依存度は当分、必要なのではないか。
しかし、赤字公債分については、後世の国民に負担をさせるわけにはいかないと
いう立場から、なくしていくと。

 それから直間比率は変えないとどうにもならない。今のような直間比率の税の
収入状態では、国民の税に対する不信感が今まで以上に強くなる。これほど税負
担率が軽い日本でありながら、国民に重税感があるのは直間比率に問題があるか
らだ。叩かれるので、なかなか一遍にできないが、これを改善する必要がある。

(2) 行政改革について


 行政改革の目玉として、学術会議を廃止すればよい。もともと学術会議は占領
軍の指示に従ってできたもので、日本には古来、学士院というものがある。学術
会議とは要するに学者の国会であって、日本国憲法からいえば、特殊職能集団の
国会など存在すべきではない。政治の大事を決定するのは、国会で決めるべきで
あり、学者だけに選挙権を与えて学者だけの代表を選ぶというばかげた制度はこ
の際、やめるべきである。そうすれば、5億円は浮く。


Ⅵ.景気物価対策への提言

現在、非常に景気が悪いのは、新物価体制への移行がいささか抑えられ過ぎてい
るからである。物価が高くなってもいいという意味ではないが、石油が経済財で
はなく、政治財となり、勝手に価格が引き上げられていく限り、いままでの価格
体系の中で、これを吸収することは絶対できない。どうしても新価格体系に移行
しなければならない。ある程度、移行しないと企業はまったく利潤が上がらない
し、利潤が上がらないから賃上げもできない。そして今のような消費不景気とな
る。
末端の消費が非常に低迷している。たとえば、今年なんかも7%弱、実質賃金は
マイナスになっている。こういう状態を続けていると、組合もだんだん荒れてく
る。やはり新物価体制にある程度、移行することで企業は適正利潤を得られる。
したがって、適正な賃上げに応じられる体制にならなければならない。

 ただ、今のように、断続的にどんどん上げられていくと、年中、新価格体系移
行過程ということになるため、これをうまく調整していくことは当然、必要であ
る。しかし、物価は抑えておけばいいんだという考え方であると、いつまでたっ
ても財政も健全にならない。だからこの際、景気をもう少し良くすることによっ
て、企業に利潤が得られる状態になれば所得税も入る。

 つまり、新しい経済市場に移行すると税金も入るし、生活も苦しくなくなる。
そういうことで物価に対する考え方を見直していく必要がある。