敬愛する天地人真のご父母様、

7.1節、謹んでお慶びを申し上げます。

1、      聖堂建設

今朝、日本に大聖殿建設するのをTPがご許可下さったとのT会長の講話に皆、元気を得たようです。世田谷の土地500坪が空いていているので坪当たり200万円で、10億円と報告されていました。小生事務所の戻り、K会長のことを思い出しました。世田谷だったと思いますが「家が空いているから使ったらどうか」とおしゃっていました。T会長は、この7月上旬2,3日韓国へ休養がてらいらっしゃり、韓国での通訳接待者を探すよう依頼されていましたので、お電話したついでに、UCが土地を探していることをお話しますと、その物件は「土地は1000坪、空いていたら使ってもらっていいのだが、裁判係争中で時間がかかりそうだ」とおしゃっていました。経営状況に厳しい時節ですので、もし裁判問題がなければきっとT会長はこの不動産は転売していたことでしょう。かつて大学建設の話をした折には50万坪でも100万坪でもあげるよ!関西のここは60万坪ある、ここは3万坪だが空港に近いので便利だとおっしゃったことがあります。ゴルフ養成学校を作りたいので候補地を下見してほしいと元早稲田大学総長と関西まで泊りがけでお伺いしたことがあります。ハワイに静養に行かれたときには、百瀬さんがTPの船でコナまで案内しました。

K会長は福田赳夫先生がご存命の頃は、福田派の関西金庫番をされていた方です。引き受けてのいないよど号事件の乗っ取り犯幹部を公安から依頼され雇ったことあります。多くの食口の人脈の中には、きっと天から備えられた人、もっとすばらしい場所があることと存じます。

2、清平セミナーの報告

  海野和三郎先生は、今度で2度目です。介護の必要であった奥様がこの2月に逝去され、83歳の先生は夢に向かって邁進されています。

 1)         海野先生は天文学で著名な先生で弟子の多いことでも海野門下として著名です。

今度が最後になるかもしれないから韓国の弟子の1人でも会えたらとお名前を5人お伺いしました。お友達の、玄正俊 (Hyeon Jeong Jun)松本高校の2年後輩、ソウル大学名誉教授は在アメリカでお会い出来ませんでしたが、残りの4人の弟子全員延世大学でお会いすることができました。

前列向かって左、金先生は韓国の宇宙開発を一手に引き受け推進されている先生で来年には韓国国産衛星1号が打ち上げられるとご報告されていました。清平セミナーにも関心を示され「ぜひ次回は自分も話したい。」ともおっしゃいました。

金先生は、韓国にある3つの天文台も政府から予算を取って来られたとのことです。天文の観測に当たっては、海野門下生が中心的役割をされています。鄭博士(天文台)は清平まで車でおくってくださいました。また柳先生(梨花女子大)は「ぜひご自宅に!」とおっしゃっていましたが時間の都合で今回はかなわず、ご夫妻が空港までお見送りにおいでになりました。   

   2)セミナー講義を最前列で熱心に聴かれた海野先生は積極的に質問をされていました。小山田先生の講義に対して、「どうして統一教会は不人気なんですか?」とお聞きになっていました。海野先生を見ているとユージン・ウイグナー博士を思い起こします。子供のように純真な心の持ち主、正直で、生地で生きていらっしゃる方です。独特の人格的な香りのする、学の世界に没入されている方です。したがって世の濁流から超然とされており、あまり世評は気にされていません。今は森と海と人の和の太陽エネルギー進化工学の夢にかけていらっしゃいます。

3)621日ご帰国になられたのは深夜12時でしたが624から幕張メッセ〔国際展示場/国際会議場〕で開催された第4回新エネルギー世界展示会に試作品を出展され、朝の10時から夕方5時までたち詰めでご説明されて いました。最終日には先生の講演がありコメントをされた大木健一郎博士は東大理学部時代の同僚、NASAでロケットの設計もされた方で「海野先生のこのアイデアの特許申請を手伝う」とおっしゃっていました。

   4)大月宗明先生はわが国の琴の世界の第1人者です。ジャパン・ファウンデーションから基金をもらい伝統芸能の普及に各国へ出かけられることも多い先生です。
     感性養育、人材育成こそ最大の課題として全国各地でも
2000人規模の公演をされています。去る4月には岡山市民会館でありました折には小生も招待を受け、地球市民機構の紹介をさせていただきました。先生は世界      連邦運動、NPO法人法、日中友好協会等の設立にも中心的役割を果たしこられ、大変行動的積極的な方です。1972年パリでの世界芸術者会議に参加された方でUCのことは、ある程度ご存知でしたが、小山田先生の     講義が終わった後、「創設者の文先生について聞いたのは今回が初めてだ」と感動的におっしゃっていました。芸術を武器に平和への情熱に燃えていらっしゃる先生です。

  5)吉田康彦先生については今回接遇をしてくださった松本君の報告に譲ることにして若干の補足に留めます。

   アカデミー時代からお世話になっている先生ですが、昨年暮、早稲田大学14号館、市市民国連フォーラムで基調講演をくださった池亀美枝子先生(国連本部事務総長室、国連を代表してアフリカ援助責任を持っている。)と吉田先生のインタビューを松本君が東大新報で取り上げてくれそれ以後、よく吉田先生をフォローしてくださっています。 

   帰国後も627日、地球市民機構で「北東アジアの非核地帯構想は可能か?」について勇気ある発言をしてくださいました。当日参加者の無償で会場を提供くださっている市河会長はいくつものビル、ホテルをオナーで「80も過ぎ、死ぬまねによいことをして死にたい」おっしゃる熱心な創価学会会員です。黒河内 康 大使(神明さんが東大時代反対していた叔父さん)も参加されました。

  6)韓国から参加された金顯哲先生は現在、韓国放送芸術協会の理事長で元KBS,元MBC放送ディレクターです。昨年5月の清平セミナーでの伊勢先生(国連大学)の講演の折、ご参加くださいました。去る5月韓国を代表する韓国アカデミー児童合唱団の団長として来日され、ベアート音楽事務所 早瀬さんの協力で大成功を収めました。埼玉県深谷市、522日(金)午後6:45分NHKのニュースで放映されました。杉並公会堂には1200名、翌日のディズニーランドの公開公演も出来て、子供たちは一日ディズニーを満喫し、韓国の父兄達も大いに感激したとのことです。400以上もある韓国合唱団全体の会長である秋 應雲先生(指揮者)も日本公演協力のお礼に駆けつけてくださいました。  今回セミナーとしては初めて本部の礼拝に参加いたしましたが、皆、食口でも初めての方も多く、超宗教的、映像を取り入れた迫力ある、短いメッセージは若者に爆発的に人気を呼ぶものとなることでしょう。参加された先生方も好印象を持っていらっしゃいました。尹世元先生とお会いできたのもよかったです。   

3、朝日新聞からの攻撃:試練

小生、諸般の事情から、任地であったバハマへ行けないので、世界へ向けて活動できる基盤を創らねばと、未来構想戦略フォーラムを創立し、昼夜、土日もない人生で、もっとも忙しい日々を送っています。至って健康に恵まれ感謝の日々を過ごさせていただいております。天のため、世のため、人のためと頑張って来た雌伏7年、2年ほど前から名門大学同窓会とドッキングすることができるようになり、今回参加された先生については下記にご報告申し上げます。

このたび616日の朝日新聞に「統一教会系NPOイベント,外務省が講演」と出して未来構想の批判記事が載りました。「世界基督教統一神霊協会(統一教会)の関係者が運営するNPO法人のイベントを外務省が後援したり、そこで自治体の首長や現役官僚が講演したりしていたことがわかった。統一教会をめぐっては、脅迫的な手法で高額商品を売りつける霊感商法との関連が長年問題になっており、最近も福岡と東京で相次いで警察当局に摘発されている。」というのが要旨です。
朝日新聞編集局の本山秀樹氏は、東京女子大を借り切って大掛かりなフォーラムを開催を大学側に電話を入れて潰し、執拗に取材攻勢をかけてきました。社会部

去る第89回未来構想においては外務省やJICAに影響力のある83歳の高瀬先生(元アジア開発銀行)、国連と共同で植林をされているニーム協会の稲葉会長がお話されました。日本政府は今後、アフリカに対し2.5倍の1900億円のODA援助をしますが、UCグループを通じてやればアフリカプロジェクトは120%成功は間違いなく、UCを抜けば、膨大なお金も70%以上はどこかに消えてしまうこと必定です。

サタンはこの神の摂理をよくわかっているようで、UCグループと外務省の離間工作を狙っています。朝日新聞の本山記者がしつこく聞いてきました。今も気になっていることは、本山記者に返事を出そうとメールを書いている最中、40日断食をした鄭充子さんが「いま啓示があって朝日と誠実に対しなさい、今が絶好のチャンスだ。」「大脇さんが教会の食口のような人と一緒にTV番組にでているのが見える。」とおっしゃったのでこれをどう解釈したものか、本部広報部と相談して、「彼女の話にも一理あるが、今は副作用も大きいので今回はノーコメント取材に応じない」ようにしたところ、先日別紙のような記事が報道されました。「打たれて復帰する」ピンチは最高のチャンス、いつでの対応できるよう備えておく所存です。

4、   その後の影響・恩寵

朝日の攻撃にも怯(ひる)まず、活動を続ける小生の姿を見て「大脇さんは統一教会だけのためにやっているのではなく、教会を超えて日本のため、世界平和のためにやっている人だ」と小生の真意を認める人々が増え、結束が一段と固まりました。復活の奇跡もいつまでも続くはずはないと思っていましたら、2011311日の大震災、それ以後急速に日本の経済市場も冷え込み、小生の知的ボランティア活動も事務所の運営も厳しくなり、一応10年で一区切りとの思いの内に本年2012年を迎えました。

   するとまたしても思いがけない恩賜に出会いました。そのきっかけは2月始め、朝5時に、松江(出雲)の小松昭夫社長(今年の島根県長  者番付第1位、会社の利潤で財 団を創設、平和事業を展開)からの電話でした。「大脇さんは朝3時からお仕事されていると聞いているの  で、大丈夫かと思い電話しました。」と。それから延々、午前9 時過ぎまで、電話での話が続きました。4時間を経った頃、ふと小生が昨  年(2011年)86日東北復興支援大会に出かけた折、パティーが終わって帰ろうとした時、小生 のバックが一時無くなった事件「色即是  空、空即是色」の悟りのお話をしたら「その1言ですべて判った。大脇さんは本当に珍しい方だ。もうひと皮剥けたら、世界に役 立つ人  になるだろう!40日間は生活を保障するから、ぜひ松江にいらっしゃい。」とのお誘いを受けましした。 40日松江のゲスト・ハウスに泊  めていただきました。そ の間、ご夫婦で玉造温泉や料亭にご招待くださいました。小生の郷里は因幡の白兎の伝説の地、小松社長は出雲  大社の発祥の村の出身で、まさに大国主の命に助けられた 丸裸の白兎の神話を思い起こしました。

この間小生が糖尿病であること、それも相当進行していることも知りました。帰りには郷里の鳥取に立ち寄り、氏族復帰の恩恵にあずかりました。40日後東京に帰って以下、次のような三大恩賜に出会い、おぼろげながら今後の方向性を見出だしつつあります。

1)中曽根元総理に成果をお伝えする機会に恵まれました。2012411日)

次女、千恵子は薫淑様と踊りたいとバレエに打ち込み、15歳でウクライナへ留学、途中で腰を痛め芸術学に転向、スベトラーナ・リバルコ教授(平和大使)と出会い、芸術学博士号をいただいて、12年ぶりに日本に帰国。 現在、夫の野村安弘君(野村健二先生の4男)と韓国留学の学生寮のお世話をしています。スベトラーナ教授は、毎年2回は日本研究のため来日されます。この4月は通訳の千恵子が韓国から帰国できないので、やむを得ず小生がお手伝いしました。帰国の前日、先生は「大好きな歌舞伎を見て帰りたい」とおっしゃり、お礼にと小生もお誘いくださいました。「日本に居たら毎日でも歌舞伎を見たい」とおっしゃるまでに「なぜそんなに歌舞伎が好きなのか?」好奇心に駆られご招待に応じました。休憩時間、小生の3人右隣から中曽根総理がステッキを持って立ち上がれました。以後5時間半、「仮名手本忠臣蔵」をご一緒に観劇することとなりました。休憩時間は5回ほどありましたが、昼食休憩は35分もあってその折、スベトラーナ先生をご紹介することができました。中曽根先生は大変喜ばれ、写真も一緒に撮ってくださいました。思いがけない総理との出会いに小生はヨセフが牢屋で王様の給仕と出会った光景を思い起こしました。一週間以内に事務所の移転をしなければならない最中でしたが、丸1日かけ10年間の政策提言をまとめ、相当量を印刷してお届けしました。

現在、中曽根総理は世界平和研究所の会長をされています。その財団の基金70億円は竹下総理が持ちこんだものです。中曽根先生は、国会議員を辞めた後、平和研究所の仕事を悠々自適でなさっているようですが、如何に仕事が国家的にも意義深いとしても、天のみ心に反してまで決断されたことはいかがなものでしょうか?今、金利もほとんどゼロに近く、平和研究所は当初の大きなビルから引っ越し、研究プロジェクト費も笹川財団から支援されています。

今回の偶然な出会いから、乾坤一擲、小生の10年間の知的貢献をお捧げ致しましたが、中曽根先生の刺激になれば幸いです。正直言って知的ボランティア活動はしんどいものですが、何とか次世代に残るものとして今後も育てていきたいと思っています。

2) 国連OB会が日本でも結成されました。(20123月)

「祖国が汝に何を為し得るかを問い給うなかれ、汝が祖国に何をなしうるかを問い給え!」(1961J.F. ケネディー就任演説)

10年間の小生の “為に生きる”燃える炎が、国連OBの人々にも伝搬し、国連OB会がこの3月、日本にも発足しました。集まった記者たちが今まで日本に、国連OB会がなかったこと事自体不思議がっていました。正に“瓢箪から駒”、小生の10年間の奉仕もこれ1つだけでも決して無意味ではなかったと思っています。 初代会長に伊勢桃代先生が就任されました(国連大学創設者、元国連職員研修センター長)。我々が一生懸命にやるよりは、国連OBの方々が本気になったら日本も国連も変わる希望も生まれることでしょう。

3)「人と人の心の仲人」の仕事

       理工ブームの花やかかりし頃、早稲田大学理工学部に通いながら、科学技術の先兵となることへの疑問を抱き、たとい自分が口下手であっても、“人と人の心の仲   人になる”ことの必要性を痛感し、清水の舞台か    ら飛び降りる気持ちで一大決心した   50年前のことを思い起こします。

1960年代、最初の10年は人を天に繋ぐの仕事、1970年代は人と人をつなぎその後、天につなげる渉外の仕事でした。南北米を巡った後、2000年代はシーズ(種)とニーズをつなぎ、両者にハッピーな結果もたら仲介者の仕事をしています。仲保者は双方から信頼されなければ双方を結び付けることは出来ません。信仰者が信頼できるのは互いに神を信じるからであります。意図したわけではありませんが、ここ10年コツコツと積み上げてきた奉仕が強大な人脈となり、自然とお互いを結ぶ役割を依頼され、結果として生活が維持されています。正にマタイ伝6章33節の通りの天を見詰める開拓的毎日です。未来構想を共に始めた新谷所長が「これからはボランティア経済の時代になる」と言っていました。昨年1月マイアミに行った折、米国社会の業界の半分以上が社会貢献型ビジネスにシフトしているのに驚きました。資本主義経済の主流を歩んだ中谷巌氏も「資本主義とそれ以後の世界」を語っています。 正に世界は利己主義経済から利他主義経済、互恵社会へと移行しています 小生の苦労は多少時代に先駆けているせいのような気が致します。今、進行中の人助けの仕事の主なものは下記のようです。

A)   大学の再生

少子化が進み、日本の600の大学の内、200校、実に3割強が経営困難で喘いでいます。そのうちの1つ、群馬県高崎市にある大学の理事長が某企業グループ会長に支援を依頼、小生に依頼が回って来ました。23の大学総長に相談すると皆、この大学の経営難はよくご存じで、渦中の栗を拾う人は居ませんでした。危機こそ方向転換のチャンス、小生は大学再建へ向けて陣容を整えつつあります。秋田県が設立した大学が破綻し、秋田県知事は東京外国大学の中嶋嶺雄学長に大学再建を依頼、今や秋田国際教養大学として立派に再生し、国際人育成の大学として東大以上に高く評価されています。時代のニードに答えた結果であると思います。創造学園大学は両国に東京分校があ、中国の留学生が介護士の勉強をしています。芸術系、介護系の大学ですが、何とか時代のニードに答える個性ある大学にするべく同志の方々と構想を練っています。

B)土壌改良の仕事、海の蘇生、水

梶栗達也氏は50年の長きにわたって建設現場で働き、土壌の改良一筋に歩んでいる方です。循環型社会開発協会の梶栗会長は仲間とともに今、東北震災復興のため、土壌改良に努めていらっしゃいます。テレビ朝日のニュースでも報道されました。大成建設等のスーパーゼネコンは目先の利益を追い、瓦礫やコンクリート、津波で打ち上げら得た重金属をそのままに埋め立てようとしていますが、それを環境保全の立場から微生物を使って土壌改良しながら復興しようとする梶栗会長の路線と激しくぶつかっています。この調停の道を探すよう依頼されています。また佐渡ヶ島の天然記念物トキの繁殖にとって水質の良さは絶対的要件ですが、ここ2年佐渡出身のウガンダ国家メシア川久保さん、チャドの国家メシア佐藤儀義さんが循環型社会開発協会の活性工法で酸性雨による被害の多い山林を見事に蘇生させ、川の水質が良くなったと佐渡市で評価され、今後全国展開する見通しも出てきました。二人の国家メシアは任地国にこれを生かしたいとも思っています。小生は日本一のダイバー水中工事第一人者の潜水工業の渋谷社長を始め、関連する人々にこの内容を配信する途上にあります。渋谷社長は去る618日、NHK総合TVの1時間番組「仕事の流儀、プロフェッショナル」で紹介されました。 (http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0618/index.html

C)原子力問題

 宇宙の究極エネルギー原子力が戦争の道具としてそのエネルギーの扉が開かれたことは人類にとって不幸なことであり、パンドラの箱を開けたように厄介な問題を引き起こしています。太陽も地核のマグマ、人体も核融 合で熱を発しており、長期的には原子力開発は進めるべきでしょうが、原爆の鬼子、軽水炉原子力発電はやめることが得策に思われます。ただ22兆円ものビジネス・モデルは民主党、GEの利権も絡み、なかなか一筋縄 では行かないようです。

 トリウム発電はU.ウイグナー博士、ワインバーグ博士、西堀先生らにより安全原発として推奨されましたが、「防衛戦力にならない、軽水炉発電推進の邪魔になる」と米国では退けられて来ました。同じ経済的理由から 日本では地下原発も握りつぶされて来ました。Mr. トリウムこと, 古川和男博士も1960年代初頭4年間オークリッジで作動していた実験炉のミニチュア版を作ることに全力を注いでいらっしゃいましたが, 昨年末, 癌で亡くな られました。先生の遺志を継ぐ人々とトリウム安全原発推進のお手伝いをしています。その代表者の1人は元東大総長、有馬朗人(あきと)氏(原子力工学、元文部科学省大臣)です。              以上

    2007年7月1日

                                  大脇 準一郎 

     真のご父母様 侍史